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2012年9月 7日 (金)

現代社会に生きる若者たちの悲劇

 さきほどのNHK TV首都圏特報で放映していたものだが、最近夜の新宿でホームレスの人たちが「炊き出し」を求めて長い列を作っている画面が出てきた。そこには20~30代の若者たちが数多く含まれている。彼らの多くは、過酷な職場環境で、仕事からはじき出されたり、職場のいじめに耐えきれず仕事をやめた人たちである。
 さらに驚くことは、いまの16~24歳の就職した若者の47%が非正規雇用なのだそうだ。そしてこの若者ホームレスたちはほとんど非正規雇用からはじき出された人たちである。小泉首相のときに実施された「規制緩和」で、それまでの終身雇用を建前とした雇用形態から、職場を移りやすい、非正規雇用が大幅に増え、「自分の好きな職場に自由に移れる環境ができた」と言われてきたが、その内実は、資本の競争の中で、劣悪で過酷な労働環境にさらされ、「使い捨て」にされる若い労働者の数が急増しているのだ。「資本家代表政府」の甘い言葉にだまされて、小泉内閣を支持してきた若者たちは、やがてその本性を現した資本の手中で踊らされ、いつでも不要になればポイ捨てされる自分の立場に気づくのだ。
 昨今のグローバル資本間の激しい利潤獲得競争の中で、国内の製造業は、労働力の安い国々へと生産拠点を移し、それらの国々で、安い労働力を買いあさり、国内の労働者はドンドン減らされている。経営再建を迫られている「シャープ」はこのほど5000人の「人員整理」を発表した。そのほかでも有力製造業が国内の工場を次々に閉鎖している。そして正規雇用社員をできうる限り減らし、運良く生き残れた正規社員は過酷な長時間労働にさらされ、不足した労働力を、首を切りやすく、正規社員より遙かに安い賃金で働く非正規雇用労働者で補うようになってきている。
 次世代を担う若者たちは、自らをこうした厳しい労働力市場で売り込めるようになるために、有名大学への入学のための熾烈な受験競争や、資格を取ることに賢明になっている。労働力商品としてしか生きる道のない大部分の国内の若者たちは、こうして互いに競争し合わねばならないのだ。そしてこういう労働力商品市場の競争に勝った若者は、「中間層」や「資本家候補」への入場切符を手に入れるが、そこから脱落する若者たちが、ホームレスへと堕ちていくのである。こうして社会の格差がいまドンドン拡がっている。これを現代社会最大の矛盾と言わなくて何だろう。
 野田内閣はその一方でTPPへの参加を表明しており、これが実現すれば、今度は、国内の農業者が大打撃を受け、国内の農業も国際的価格競争にさらされ、それについて行けなくなった農業者は脱落し、農村はますます疲弊していくだろう。「輸入野菜のおかげで、食費が安くてすむ」などと喜んではいられないのである。どこかの小さな島の帰属問題がこじれて、もし戦争にでもなれば、店頭から輸入野菜はなくなり、たちまち、毎日の食事にも事欠くことになるのだから。
 われわれ戦後第一世代の人間が、こうした状況を作り出してしまったのではないかと思うと、その責任を感ぜざるを得ない。実は、私の息子も、このような非正規雇用で働いており、朝9時から、わずか30分ほどしかない昼休みを除いて、夜8時過ぎまで晩飯抜きでびっしり肉体労働者として働かされ、家に10時近くにへとへとになって帰ってくると、もう食事を摂る元気もなく、居間のソファーの上に倒れ込んで寝てしまうのである。こんなことをしていたらいつかは身体を壊すだろう思うが、どうすることもできないのである。この実情を訴えようにも、非正規雇用の労働組合もない企業なのでそれもできない。
 表面では、華やかなショッピングを演出する新宿の町の裏側では、こうして多くの若い労働者たちが路頭に迷い、ボランティアの救済に頼らなければ生きてゆけないのがいまの社会の実像である。
 こうしてこのブログでさまざまな矛盾を訴えること位しかできない自分に、いつも苛立ちを覚え、この社会を支配している矛盾の根源であるグローバル資本や金融資本に心から怒りを覚えるのだ。

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