« 「付加価値デザイン」の現実 | トップページ | フランス社民党の資本家的本質 »

2012年11月 5日 (月)

閑話休題:大統領選挙という「市場」の原理

 まず、mizzさん、コメントありがとうございました。「付加価値デザイン」は学科名ではなく授業の名前のようでしたが、どちらにしてもおっしゃる通り、矛盾にまったく無自覚ないまのデザイン教育の一面が分かります。

 さて、今回は、いまや追い込みで白熱しているアメリカ大統領選挙の話である。オバマ陣営は、追い上げてきたロムニー候補との「違い」(差別化)を必死になって宣伝していたが、ロムニー候補はオバマ大統領がアメリカの経済をダメにしたと(相手の商品の欠点をほじくり出すことで)これまでの施政を批判している。TVCMまで繰り出したこの「戦い」はまさに次期大統領候補という次期モデル商品の売り込み合戦という様相である。日本の総選挙とは若干違ったシステムのアメリカ大統領選ではあるが、いまのアメリカ社会がいかに商品の論理で貫かれているかが感じられる。
 アメリカ的民主主義は、実は商品の論理であって、被選挙人(候補)という商品を選挙市場で売り込み、選挙人は投票することによって、その商品を買うのである。そしてその商品は買い手が消費するのではなくて、選挙市場を制して当選した候補者が自身の行う施政によってそれを「消費」するのである。
 だから、ここで考えねばならないことは、その「消費」が選挙人ではなく被選挙人による施政であることだ。選挙人はつねに受け身の立場であり、ただ投票という形での「購買」においてのみ主導権を握れるのである。商品市場の常として、買ってしまった商品はどう消費されるかについては「売り手」の関心事ではない。つまり選挙戦という「売り込み合戦」の渦中においては、相手との差別化や政治公約(いわゆるマニフェスト)を宣伝しまくるが、「買ってもらえばこっちのもん」であとは「相手との差別化」や「政治公約」などなんのその、そんなものはできなければそれまでのことであって、世の中を自分のやり方で支配できるのである。
 選挙人はあたかも自分の考え方を代わりに実行してくれる人を選んだような気持ちにされ、その実、あらかじめ候補者という選択肢をしつらえられた「市場」でただどれかの商品を選ぶことだけしかできないのである。そしてその意味では本質的に受け身の購買あるいは選択マシーンでしかない。
 オバマからロムニーに支配者である「商品」が交代しても、民主党から自民党へと「商店」が代わっても、結局は選挙人は買わされた商品が支配者によって「消費」されることを下から指をくわえて見上げることしかできない立場に置かれ、その消費のされ方によって日々の生活まで脅かされることにもなるのである。
 社会を構成し、社会を成り立たせるために日々、その持ち場で働いている人々が、その持ち場において主導権を発揮できるシステムこそ、われわれの求める本来の民主主義ではなかったのか?

|

« 「付加価値デザイン」の現実 | トップページ | フランス社民党の資本家的本質 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/56046763

この記事へのトラックバック一覧です: 閑話休題:大統領選挙という「市場」の原理:

« 「付加価値デザイン」の現実 | トップページ | フランス社民党の資本家的本質 »