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2012年12月11日 (火)

「独裁政権」とは何だろう?

  民主主義を標榜する日本では、いまや衆議院議員選挙で乱戦模様だが、ここ1〜2年独裁政権が支配していたアラブの国々では次々に革命(アラブの春と言われている)が起き、新たな政権が生まれている。この革命に大きな役割を果たしたのはインターネットとジーン・シャープ(Gene Sharp)という人の唱える非暴力革命の方法論であると言われている。私はこの人物に関しては何も知らなかったが、今朝NHK-TVでこのジーン・シャープに関する番組を放映していた。彼の代表的著書は"From Dictatorship to Democracy: A Conceptual Framework for Liberation"であるらしいが、その翻訳の一部は次のサイトで見ることができる、翻訳:独裁から民主主義へ - 安全保障学研究室

 NHK-TVの番組によれば、シャープの主張は、独裁政権に対する抵抗は、独裁者に武力や暴力による弾圧を誘発させるような、暴力や武力によるものでなくて、非暴力の組織的な市民運動が有効であって、独裁者を実質的に支えている支柱を一つ一つ崩していく非暴力抵抗運動が勝利を収めるというもである。そしてそれが現にアラブの春などで実現しているというものだ。彼はその具体的方法を箇条書き的にまとめ、「革命の手引き」としているようである。

 非暴力革命のもっとも有名なものは、マハトマ・ガンジーによるインドの解放であろう。そのときには、インドを植民地として抑圧的に支配していたイギリスへの抵抗運動であった。しかし最近のアラブ諸国の革命は、かつての植民地支配を脱した国々にできた独裁政権に対する抵抗であるから、その意味は異なるであろう。また同じ「独裁」でも中国、ベトナム、北朝鮮などのような、共産党独裁政権は、また意味が違うであろう。つまりシャープのいう「独裁政権」は、それぞれ歴史的にも社会的にも異なった背景や意味を持っているはずである。十把一絡げに「独裁政権」とするのはあまりにワンパターンであり、歴史を見据えていないと言えるであろう。

 確かにインターネットと非暴力市民運動の結びつきは、民主主義的形態の社会を生みだすための重要な要件であることには違いない。しかし、ここでもう一度、「独裁」の意味とその実態、そして同時に「民主主義」の意味と実態をよく分析しないと、たとえ「革命」が成功しても、その後に出来上がる政権の民主主義は保障されないかもしれないのである。現にエジプトではそれが証明されつつある。

 振り返って、民主主義を標榜するわが国では、そのモデルはアメリカ的民主主義であり、これがいま民主主義のワールド・スタンダードとなっている。そこでは、「市民」というものが主人公となり、政府は市民が自由な選挙で選んだ代表者が取り仕切るという形である。そして労働者や農民もなろうと思えば努力次第でいつでも資本家になれるチャンスはあるとされる。

 しかし、この「市民」とはいったい何だろう?「市民」とは実は二つの本質的に対立する階級があたかもひとつの実体にでもなったかのように装わされることから生まれる「幻想」に過ぎないのではないだろうか?一方ではつねに自分の労働力を売りにださねば生きていけない人々、そして他方では、その労働力を「雇用」という形で買いとり、商品の生産やそれに関連する仕事に就かせて、そこから利潤をあげる人々がいて、彼らが世の中の経済を支配している。たとえ労働者が努力の末、資本家的経営者になったとしても、この社会的生産システムの構図は少しも変わらない。

 19世紀ヨーロッパにおける「市民(Bourgeois)」革命やアメリカの独立戦争(Civil War)では、労働者や農民が、ブルジョアジー(市民)の一部とされて利用され、革命が達成された後には、経済的支配権を握ったブルジョアジーが実質的な支配階級となり、労働者・農民は被支配階級になっていったではないか。

 そしてそこに登場した「自由と民主主義」は、実は、資本の経済的独占を前提とした、資本家の「自由と民主主義」といえるだろう。言い換えれば「自由と民主主義」という看板を掲げ「市民社会」という幻想をでっちあげた、資本家独裁政権というべきものである。

 そして当然のことながら、20世紀初頭に、世界的規模で、労働者・農民による階級闘争が起き、革命運動の中で、ロシアで初めての社会主義政権が生まれたが、それを指導してきた共産党は、その後、結局、当初掲げていたマルクスの主張そのものを180度変えてしまうことになり、革命指導部が官僚化してしまい、労働者・農民は共産党独裁政権に抑圧支配される被支配階級的立場になってしまった。

 「自由と民主主義」を掲げるブルジョア政権は、その後、「社会主義国」を横目で見ながら、労働者たちに大幅な譲歩をし、「消費者」としての消費生活をエンジョイすることで、経済が回る仕組みを生みだした。そのような社会状況が、労働者に階級的意識を薄れさせ、「中間層」あるいは「中産階級」という形での「市民意識」を定着させてきた。

 しかし、20世紀末、「社会主義圏」が崩壊し、ブルジョア社会が、グローバル資本主義社会に変貌するやいなや、歯止めが効かなくなった資本主義の暴走によって、支配階級である資本家たちは馬鹿げたアナーキーな国際市場競争に明け暮れ、一方で地球をめちゃめちゃにしながら、他方で被支配階級である労働者たちの生活を再び厳しい状況に追い込みつつある。

 一方で、共産党独裁政権のもとで資本主義経済を標榜するようになったかつての「社会主義国」では、かつての労働者・農民の代表であった党が、抑圧的支配のもとで低賃金労働を促進させ、グローバル資本からの投資を駆使した「経済最優先」政策のもとで多くの労働者・農民を厳しい生活に追い込んでいる。

 ここでは、グローバル資本と手を結んだ共産党官僚たちによる独占的支配が、グローバル市場で勝ち抜くために労働者・農民を犠牲にしているのだ。資本主義経済の導入により、リッチになった一部の階層が「中間層」として「市民」の仲間入りをしているようであるが、彼らはむしろ共産党支配から資本主義的「自由と民主主義」への脱皮を希求しているように思える。かって労働者・農民の革命指導部であった、共産党に裏切られ、いまは力を失った労働者・農民たちこそ実はその国の主人公になるべきだったのではなかったか?

 またアラブや中東の情勢は混沌としてるが、ここでは、グローバル資本と結託した独裁政権の抑圧からの解放を、宗教による団結で勝ち取ろうとする人々と、宗教からの呪縛からも脱するために西欧型民主主義を求める若い人々との対立という構図が見えてくる。

 このような背景の中で登場し現存しているそれぞれの「独裁体制」の意味を相対的に捉えることが必要であり、単なる方法論としての革命ではなく、どのような社会を目指すのかが問題であり、それなくしては、本当の意味での社会変革はあり得ないだろう。

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