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2012年4月1日 - 2012年4月7日

2012年4月 6日 (金)

デザイン理論の矛盾 2 : 方法の疎外(その 3: シンセシスの矛盾)

 前回では、デザイン思考の3段階、分析(Analysis)→総合(Synthesis)→評価(Evaluation)のうちAnalysisとEvaluationにおける矛盾ついて見てきたが、ここでは一番肝心のSynthesisにおける矛盾について見ることにしよう。

 Synthesisはわが国では「総合」あるいは「合成」と訳されることが多いが、その中身はデザイン解の案出である。分析で把握した問題を解決する案(解候補)を考え出し、それを次の評価の段階で「決定解」へと絞り込むというわけである。一般にSynthesisは3段階の思考が繰り返される度に行われ、初期においてはできるだけ多くの解候補を案出することが望まれる。したがって評価が収束的思考と呼ばれるのに対してSynthesisは発散的思考と呼ばれる。Synthesisはデザイン思考の中核的部分であって、いわゆる「創造的思考」がここで行われる。

 しかし「発散的思考」と言われるように、ここでの解はそのまま決定解ではなく「候補」にすぎない。なぜストレートに解が出せないかといえば、それはこの思考がいわば、時間の先取り的思考であるため、問題そのものが本質的に曖昧であって、問題が明確に見えるようになったときには、解が手の届くところにあることになるからである。言い換えれば、デザイン思考は本質的に「解の可能性を探索する試行錯誤過程」なのである。

 この「解の可能性を探索する試行錯誤過程」はコンピュータの乱数出力のように無作為な解をただたくさん出すのではなく、発散的探索それ自体がある方向性としての「狙い」を内包しているのである。この発散的思考における「狙い」は、デザイン主体の内省的な側面であり、問題状況を、どのような「問題」として把握しているかに掛かっている。だからここでは、過去における同種の問題での解決方法からのヒントや、自分が案出した解候補を見ることで、そこに無自覚的に含まれる既成概念への気づきや、問題把握内容に対する新たな視点の発見が行われることさえもあり、それが「ひらめき」や発想に繋がることもあるのだが、その「ひらめき」や発想の背後にはデザイン主体の頭脳にある、すべての過去の潜在的記憶や思いが集約的に表現されているのである。だからこそ「創造的思考」たりえるのであって同時にそれはデザイン主体自身の「自己表現」でもあるのである。

 しかし、現実のデザインにおいては、前述したように、Synthesisで案出された解候補を、デザイン主体ではない、そのデザイン労働力の雇用者の視点から評価され、それによってどの解候補を選択するかが決められるのである。結果は、必然的にもっとも市場性の高い「新規性」をもったデザイン解が決定解とざれるのである。

 最近のデザイン論では、デザイン課題を「問題解決型」と「提案型」に分け、前者は解決すべき問題が最初からある程度見えている場合であり、後者は、デザイナー側から「こんなものもあってよいのでは?」と新規に提案としてデザイン案が出される場合であるとされる。「提案型プロジェクト」は、いわば「必要」や「要求」のないところに向けて「潜在的要求」を掘り起こすことを目指すとされ、しかも、この「提案型プロジェクト」こそがデザイナーの創造性が威力を発揮できる場であるとされる。

 しかし、よく現実を見れば、分かることであるが、「潜在的要求を掘り起こす」ということは、無くてもすむモノを提案し、無用な需要を喚起し、それによって過剰な消費あるいは資源・エネルギーの浪費を促進することになるのである。現在の資本主義社会が過剰資本の圧力を過剰な消費と資源の浪費で切り抜けながら富者だけがどんどん太っていく仕組みがここでも明白に現れている。デザイナーは彼/彼女の「創造力」を資本主義体制を維持するための過剰消費と地球資源枯渇のために捧げているのである。

 現代の「デザイン論」においては、このような事実には一言も触れていないことはいうまでもない。それは無自覚のうちに、いわば「支配階級の思想」の一部を形成しているのだから。

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デザイン理論の矛盾 2 : 方法の疎外(その 2: 分析と評価の矛盾)

 前述した分析→総合→評価という3段階は、何回もスパイラルな構造で繰り返されながらデザイン解に至ることはすでに知られている。つまりデザイン問題においては、目的意識が最初は曖昧であり、それが思考過程の繰り返しサイクルの中で徐々に明確になるという事実は、私の論文の中でも何度も指摘してきた。デザイン思考の端緒にある「分析」はその中で同時に行われるはずの「問題把握」における状況判断が不可欠である。「問題」は客観的に存在するのではなく、ある客観的状況を「問題」として認識する主体を通して初めて「問題」となるのであるから。例えば、いろいろ複雑な要因が絡み合ってある客観的状況を生み出している場を分析する手法としてKJ法(文化人類学者の川喜多二郎氏が考案した分析法)がよく使われるが、その場合も、問題の構造と全体像が浮かび上がってくる過程は個人の洞察力が基本となる。諸個人の洞察力の切磋琢磨によって初めて問題状況が「問題」として客観化されるのである。

 しかしデザイン方法論においては、「問題」はあたかも最初から客観的に存在するように扱われていることが多いし(例えば競合他社の商品との差別化など)、そうでない場合(例えば、「提案型プロジェクト」(これについては別項で詳述する)と言われるような場合)も、上述したKJ法などを用いて客観化された「問題」が、その解決に向かう過程でのデザイン思考が具体的になればなるほど、「問題」当初あったデザイン主体の意識から離れ「売れる商品」の実現方法へと傾いていく。そのため「問題把握」と一体化されているはずの「分析(Analysis)」は、そこから一人歩きを始め、統計学的手法や数学的手法を用いて「分析」される。こうして分析手法は客観的であっても問題解決の目的は「主観的要素」として疎外されていく。

 「分析」によって示された問題にしたがって、それを解決するために必要な方法が「総合(Synthesis)」の段階で「解候補」として複数案出されるが、そのうちどれを最終的解として選び出すかが、「評価」の段階である。

 「総合」については別項で詳述するので、ここではその次の段階である「評価(Evaluation)」の検討に移ろう。

 目的を疎外されたデザイン思考から来る、当然の帰結として、デザイン過程での「評価」の疎外がある。思考過程の繰り返しサイクルの中で徐々に目的が明確になるのであるが、しかし、その中で何回か通らねばならない「評価」の場面では、つねにデザイン主体自身によるのではなく、外的な評価が与えられるという形で疎外される。多くの場合、評価においては目的が明確になるにつれて、企業の営業部門の人間による判断が次第に支配的になる。そして最後にはその企業のCEOの意志決定が、それを市場に送り出すか否かを決めさせる。したがって、こういう場ではデザイナーは、CEOを説得するためにプレゼンに途方もない労力を費やすのである。

 いまのデザイン方法論では、評価の段階に関しては、その客観的方法について論じるが、その評価内容には立ち入らない。いわく、「方法は論理的過程の記述であり、目的や評価の内容は方法論の領域に入らない」。したがって方法論においてはもっぱら「評価の客観的方法」が問題とされる。例えば、解決項目ごとの重み付けをどうするか、それらをどう最終決定に結びつけるか、などなどである。しかし、これらの「評価の客観的方法」はその目的がCEOの決断をしやすくさせることにあるのであって、デザイン思考が解決すべき本来の問題解決への客観化ではないのである。

 そして最後にCEOの「よし、これで行こう!」という主観的判断による号令がすべてを決するのである。

 

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2012年4月 4日 (水)

デザイン理論の矛盾 2 : 方法の疎外(その 1: 労働内容の違いの抹殺)

 前回まで、資本主義社会特有の労働形態であるデザイン労働という労働における疎外と、そのようなデザイン労働をそのまま普遍化して捉えようとするデザイン論におけるデザイン目的の疎外について述べてきた。

 そこでは、デザイン労働が実は、歴史的に見ると、社会的生産活動が資本に包摂されることによって、生産物がすべて商品として生産されるようになり、社会的生産物を作る第一義的目的は「売って利潤を得ること」であり、そのための手段として生産物の社会的必要性が従属させられるというかたちで、目的と手段の逆転が生じているという事実、そしてその中で、商品市場での競争に勝つために行われてきた生産の資本主義的「合理化」の過程で、資本主義社会以前の職人的ものづくりの形態が、分解され、生産物の機構や形態を専門に考える頭脳労働者群と、それを機械制大工場において、作業ごとに分割された単純肉体労働として機械に従属させられて生産する労働者群に区分されるようになった結果として登場した職能であることを明らかにしてきた。

 そしてデザイン労働者の輩出ために設けられた職能的教育機関においては、その歴史的な形態としてのデザイン労働を、当然のことながら普遍化し、それを理論化することが行われてきたが、そこでの基本的誤りは、「デザイン目的」をデザイン思考の過程の外から与えられるものとして、あらかじめ疎外させるという形で表れていることを指摘した。

 そこで今回は、それとの関連で、いわゆる「デザイン方法論」においてそれがどのような誤りを無自覚にさせているかについて述べることにしよう。

 1960年代に興隆したデザイン方法論では、当初、C. Jonesらにより「分析」→「総合」→「評価」という3段階がもっとも一般的なデザイン思考の過程であるとされた。ここですでにデザイン目的そのものの妥当性についての吟味は論理の外の問題とされている。しかし、一部の特に建築系の設計理論研究者(J. Escherikなど)からは、方法は目的に埋め込まれたものだとして、この説に異を唱える者も表れた。これは最初のデザイン思考3段階論を唱えたJonesが主として機械設計関係の出身であったことによる、建築系設計論者とのデザイン労働の把握における違いがあったためと考えられる。

 我が国の工業デザイン系教育機関ではこのJonesの3段階論をほとんど抵抗なくそのまま受け入れた(当時唯一のデザイン誌であった工芸ニュースを発刊する産業工芸試験所がJonesを講師として招聘した)ことにも工業デザインと建築設計とのデザイン労働の把握の違いが見えている。(*このあたりのデザイン論の検討には"Conference on design methods" Pergamon press, London, 1963が非常によい参考文献である)

 しかし、その後、デザインがあらゆる計画・設計的労働に含まれる要素として抽象されることにより、それら具体的なそれぞれのデザイン労働の歴史的形成過程と現状における違いが抹殺され、一方で「デザイナーは文明の形成者である」という主張が登場するとともに、他方では「一般設計学」のような、より論理的一貫性をもったデザイン思考過程の理論が登場するようになったのである。

 その中で、建築家 C. Alexanderのデザイン論はよく知られている。Alexanderは彼の博士論文"Notes on the synthesis of form"で展開したグラフ理論と集合論にもとづく問題解決方法は、機械工学系出身の吉川氏による「一般設計学」にも影響を与えたと思われ、ここに建築系と機械設計系の違いが完全に抹殺されてしまう結果となったと考えられる(ちなみに、Alexanderの設計論は紆余曲折の後にパタンランゲージという言葉の集合がもつ表現力を用いる方法に集約され、それは皮肉にもいまでは建築よりも物質的設計実体のないソフトウエア・デザインの分野で用いられるようになった)。

 <機械設計・工業デザイン系>というグループ(もちろんこの両者間にも後述するようにそれぞれの特殊性を見なければならない)は、機械制大工業とそれによる大量生産商品のデザインという状況下でのデザイン労働であり、不特定多数の購買者を想定した生産手段の所有者の「売れる商品を作る」という目的意識を可視化することにあるのに対して、<建築設計系>は特定の施主のための建築物の設計(基本的に一品制作)という状況下でのデザイン労働であり、施主の目的や好みを引き出さねばならないのである。いわば施主に代わって彼の目的意識を明示化(可視化)させる労働であるため、「売るため」という性格が明示化されにくい。このようなデザイン思考における目的意識の位置づけが異なるため、デザイン方法論においても本質的に異なる矛盾を含んでいるのである。これについては後日詳述するつもりである。

 そして<機械設計・工業デザイン系>の中でも、機械設計労働は、高信頼度で高性能な機能などで購買者を引き寄せ、工業デザイン労働は、魅力的な形や色、使いやすさなどにおいて、できるだけ多くの人々の注意を引き、購買行為を決断させることが目的となるのである(ただし、その後、高信頼度や高性能は工業デザイナーによる「高級感」という欺瞞的イメージ付けによって取って代わられた)。

 要は、あらゆる人間労働の過程に含まれる計画・構想的要素が、現代社会の構造を特徴づけるさまざまな職能での具体的労働形態として表れ、したがってさまざまな具体的矛盾として表れる労働内容を捨象してしまい、ただ単純に計画・構想的共通要素を「抽象」することで、「広い意味でのデザイン」や「設計一般」としてしまうことにより、資本主義的労働における矛盾の具体的現実がまったく見えなくなるのである。

 こうして登場した「設計一般」の論理はしかし、「デザイン一般の定義」と同様に、歴史的現実を無視しているために、そこから理論が歴史的に発展する動因を何も持っていないのである。

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