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2012年4月29日 - 2012年5月5日

2012年5月 5日 (土)

西欧社民勢力優勢の落とし穴

 信用不安からくる不況混迷を深めるヨーロッパで、フランス大統領選挙の決着がまもなく着く。多分社会党のオランド候補が次期大統領になるだろうという大方の予測である。イギリスでは、労働党の支持者が増加している。この背景にはヨーロッパの労働者階級が、保守政権が財政赤字を埋め合わせるために進めている緊縮財政や増税でますます苦しい生活状態に追い込まれているという状況がある。これは2008-9年頃のアメリカに似ているが、事態はもっと深刻である。政府の財政赤字でユーロ不安の引き金になったギリシャやイタリア、スペインなどでは失業率が20%を越えている。労働年齢の4~5人に一人が失業していることになる。

 こうした厳しい生活状態に対して、いまの保守政権は打つ手がない。そこで労働者達は「社民勢力」に期待をよせることになる。しかし、イギリスの労働党もフランスの社会党も言うことは「経済成長による財政赤字解消と雇用拡大」である。これでは保守政権の方針とあまり違わない。結局保守政権はそれができなかったから緊縮財政と増税に走らざるを得なかったのだから。

 オランド氏は収入の多い富裕層の税率を上げると言っているが、それはそれでいいとしても、問題はすでに資本の運動は完全にグローバル化していることである。富裕層への税金から得た政府税収が、労働者階級の貧困状態を救済するために使われたとしても、それは焼け石に水一滴程度のものでしかなく、労働者階級の状態を本質的に改善することにはならないだろう。オランド氏は「経済成長」の本質が何であるのかまったく認識していないのだ。

 グローバル資本の回転は、多くの資本家たちがつねに特権的立場を維持しているわけではなく、彗星のように現れては消えていく多くの資本家の浮き沈みによって動いているのである。その間に世界中の労働者階級から吸い上げられた巨額の剰余価値による「実体資本」と、それをもとに金融資本家たちによって信用制度や投機のメカニズムを通じてねつ造される「虚妄の価値部分」を上積みさせながら激しい資本家同士の国際競争の中で次々と登場する資本の操り人形でしかない資本家たちの浮き沈み劇が演じられているのである。すでに資本家的な生産にとっては過剰となったこれらの資本は、一方で過剰な消費がなければ生きていけなくなっている。「経済成長」とはこのような過剰流動資本を増やすことでしかないのだ。そして自分たちの正当な権利であるその剰余価値部分が逆に自分たちを「資本のしもべ」にしているという資本主義社会特有のメカニズムに振り回されているのが現状の世界中の労働者階級なのである。この逆立ちした状況を正すことことこそ、問題の真の解決なのであるが、70年以上も前にマルクスの理論と決別してしまったいまの西欧社民勢力にそれを認識し実行できる政党はない。

 だからヨーロッパの労働者階級が選挙でそれら社民勢力の政党を選んだとしても必ずや裏切られる結果になるだろう。むしろその結果、ネオファシズムや国粋主義的な右翼政党が政権を握る可能性が大きくなるかもしれない。これがもっとも恐れるべきことである。そうなれば世界中の労働者階級は連帯とは正反対の方向に向かい、「国家」という階級隠蔽のための幻想共同体のために殉職させられることになるだろう。

 われわれはあの数億の労働者の命を奪った戦争という20世紀の苦い経験を忘れてはならない。欺されてはいけない。よく真実を見極めなければならない。それがわれわれの命運を分けることになるのだから。

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2012年5月 2日 (水)

日本のものづくりとデザインの行方(2)

 前回述べたような、生活者と直結した中小企業のネットワークによる生産、という考え方は、工業生産だけではなく、農業などの第一次産業においても可能であるし、現にそれが少しづつ実行されている。いわゆる「地産地消」型農業である。これからの日本のものづくりと経済は、過剰資本の生産と過剰消費の強制を繰り返し無駄な国際競争と資源の浪費に明け暮れないと自己存続できなくなったグローバル資本の視点からではなく、実際に生産的労働を行っている労働者(農業生産者も含む)の視点による、「われわれ自身の生活のための生産」という方向に進むべきなのではないだろうか?

 いまの日本の経済は、多くの労働者がグローバル資本の傘下にある企業に雇用され、「国際競争に勝ち抜く」ために働かされ、競争が激しくなればなるほど、資本家は相対的剰余価値を増やすべく「生産の合理化」を進め正規雇用労働者の数を減らそうとする。そして賃金の安い国へと企業は脱出し、国内の労働市場では雇用が減少し、労働者は不利な条件のもとで低賃金長時間労働の苦役に耐えねばならず、生活状態は悪くなる一方なのに、グローバル資本の甘い汁を吸う連中は「富裕層」として贅沢な生活が出来るようになるという大きな矛盾を露わにしているではないか。

 このような現状に「高付加価値商品の生産へのものづくりの転換」などと資本家的発想を打ち出してみても、それは結局「富裕層」がリッチな生活を楽しむためそこで用いられる奢侈品の生産に生産技術を集中させようとしているに過ぎない。デザイナーはそんな労働に活路を見いだしてはいけない。それではまるでかつて王侯貴族のために働いた職人たちと同じではないか。

 グローバル化する資本に対して(残念ながらいまのところ)グローバル化できないでいる労働者階級にとって、ひとまずは国内の生活に必要な物資の生産を自給自足的体制に変質させていくことが一つの重要な方策ではないかと思われる。つまり、一方でグローバル資本が無駄な競争と資源の無駄遣いを繰り返している間に、その足下で、粛々と地に足が付いた生産ができる体制を生み出して行くのである。やがては、この生活必需品の自給自足体制を拠点として、グローバル資本のくびきから解放されるために必須な世界中の労働者階級の連携が可能になるような国際的な生産体制を生み出すことを展望しながら、いまこの日本の中に少しずつその芽を着実に育て上げて行くのである。

 そのためにまず越えねばならない大きな壁は、「地産地消」的ネットワークの中で行われる生活物資の流通とそこで用いられる通貨の問題であろう。グローバル資本の支配下では、事実上名目貨幣(実際の価値を代表していない)でしかない貨幣価値が為替相場によって変動し、「信用」という形での取引は、過剰流動資本を獲得しようとする資本家たちのさまざまな思惑で大きく浮き沈みしている。これは実際に生活のために生産する体制にとっては迷惑な話であって、本来は関係のないことである。労働者のあずかり知らぬ場所で行われる資本家どうしの取引の失敗で企業が倒産し、労働者が解雇されるということは、まったくもって心外なことである。だからこうしたグローバル資本の回転を形成する要素としての貨幣にたよっていては、必ずそれと命運をともにせざるを得なくなる(いまの年金制度の破綻がその現れの一つである)ことは目に見えている。

 そこで自給自足的生産=消費体制の内部でのみ流通する第二の通貨を作ることが必要かも知れない。いうなれば一種の「ポイント制」である。そしてこの体制の中で働く生産的労働者はそのポイントで賃金を受け取る。もちろんそれ以外の仕事を持っていて従来の資本家的企業から従来の通貨で賃金を受け取ってもかまわない。しかし、生活に必要な物資はこのポイントで地産地消市場において買えるのである。

 こういう二重経済体制を生みだし、社会の下部構造をグローバル資本の迷惑な空騒ぎとは無関係に、徐々にしっかりした体制へと作り上げて行くことができれば、労働者による労働者のための生産体制が下から出来上がっていくだろう。そしてやがて上部にあるグローバル資本経済体制が崩壊するべくして崩壊した暁には、すでに世界中の労働者階級の連携組織がそれに取って代われる体制ができているという構想である。

 そうなったとき、デザイン労働は富裕層のための奢侈品生産の一端を受け持つ特殊な職能としてではなく、あらゆる生活に必要な物資を生産する労働の中に存在する必須な労働過程の一部として位置づけ直されるだろう。したがってその内容に対する見方は大きく変貌することだろう。

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2012年4月30日 (月)

日本のものづくりとデザインの行方(1)

 安い労働力を求めて、海外に生産拠点を移す大企業の陰で、それまでさんざんコストダウンを迫られた挙げ句に、見捨てられた大企業傘下の中小企業は、存続を掛けた大転換を迫られている。実は日本のものづくり技術のもっとも優れた底辺を形作っていたのがこれらの中小企業なのであるが、大企業依存型に育て上げられてきたがゆえに、個別企業の経営力では独自に海外拠点を持つことは不可能である。

 大手自動車メーカーの傘下にあった多くの個別中小企業が、いま中国に広大な土地を獲得してそこに何百社もが共同で集中した生産拠点を持つ準備をしているらしい。つまり労働力の安い中国に生産手段を集中し、そこで安い労働力による生産を始めることで、中小企業が育ててきた独自技術を維持しながら競争に勝ち抜こうというのである。

 これを大手自動車メーカーも後押ししているようだ。ピラミッド型の下請け企業群の頂点にあって、つねに利益の大部分を吸い上げてきた大企業の陰で、少ない利益に我慢して、大企業からのコストダウン・プレッシャーに耐えながらユニークな要素技術を生み出してきた中小企業を見殺しにすることは大企業の先行きにとってもよくないという思惑からであろう。

 しかし、このプロジェクトには大きな落し穴があると思う。それは、いま中国では一方で「一人っ子政策」の結果、急速に高齢化が進み、他方では、外国企業の生産拠点で働く労働者たちの労働条件と賃上げの闘争が急速に増加しているという事実である。そのため、おそらく10年を待たずして中国は「労働力の安い国」ではなくなり、中国政府は、高齢化による労働者数の減少に対応した税政の変更(例えば外国企業に高い税金を課すなど)を余儀なくされ、外国企業は生産拠点をふたたび別の「さらに労働力と税金の安い国」に移さねばならなくなると思われるからだ。現に、その動きが始まっている。

 それは、いまや「民主化」されつつあるミャンマーに世界中の大資本が注目しているという事実である。ミャンマーの労働力の価格は中国に比べて5分の一以下だという話である。世界中の安い労働力を求めて争ってきた大資本がそれを見逃すはずがない。ほかのアジアやアフリカの国々でもそうした状況が起こっている。その結果、中国は安い労働力を「売り」にすることができなくなり、巨大な生産力がもたらす過剰資本のプレッシャーから逃れるためには輸出依存型経済から国内市場を拡大していく「大量消費型国家資本主義」に変貌せざるを得なくなるだろう。これまで外国企業から吸収してきた高度な生産技術を身につけ、技術的に自立した中国資本は、その技術を持って安い労働力の国に進出していくようになるだろう。そうなったときに、中国に生産拠点を移した日本の中小企業グループはどうなるか、よく考えておくべきであろう。

 そこで、まったく違う視点からこの問題をとらえることが必要であろう。一つは、日本の中小企業は、大企業の資本家のように海外に「安い労働力」を求めるのではなく、その優れた技術力を、国内の生活者のさまざまな需要に直接フレキシブルに応えられる形で発揮できるようなネットワークを形成し、それによって少量多品種生産でも確実に使用価値をまっとうできるような生産ネットワークを作るという方向である。いうなれば、大企業傘下ではなく、分散した小生産単位(生産手段を持った小さな個別企業体)のネットワークによる集合体を形成し、それを直接生活における需要に結びつけるという方向である。受注は生活者が直接ネットワークを通じて行い、生産と消費がある意味で直結した組織を社会的に生み出して行くのである。

 こうして大企業が無意味な国際市場の競争のために明け暮れ、労働の搾取と地球資源の浪費によって自ら墓穴を掘っている間に、それに関係なく足下の社会的需要を充たすための生産をしっかり把握していくのである。日本の中小企業グループは、大資本依存型企業から脱するだけではなく、資本家的な視点そのものからも解放されるべきなのではないか?

 もし、こうした生産と消費が直結したネットワークが形成されていけば、その中に今日のデザイナーとはまったく違う形態のデザイン労働がその中で生まれていくと考えられるのである。

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