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2012年1月15日 - 2012年1月21日

2012年1月16日 (月)

現代における資本家階級の構造(1)

 前回で資本主義体制の中には「自己犠牲」という概念がない、と言ったが、それでは、その経済的基盤をすべて損得ずくで回している資本主義体制の支配階級の内部構造はどうなっているのか、そしてそこからどのような矛盾が現れざるを得なくなるのかを考えてみよう。

 例えば、いまもっとも資本家階級的特徴を顕著にしているのが、証券取引市場であろう。ここではすべてが投資家の損得ずくで物事が動いている。「安く買って高く売る」という商人の行為が資本主義社会の根幹を成している証拠である。しかもそこにあるのは具体的使用価値を持った商品ではなく、投資家が株を買って自分の金を投資したある企業が利益を上げるかどうかが問題になっているのであって、高い利益を上げそうな企業の株が証券取引市場で高く売れるのである。その企業が何を作り何を売るかについてにはいっさい関係なく、ただただそこから利益がどのくらい上がるのかを彼らは常に注視しているのである。さまざまな社会に必要なモノやコトを取り扱っている企業は、自社の株価が上がれば資本調達が容易になるためにあらゆる手を使ってその企業の「人気取り」を行おうとする(ここで「企業価値」という奇妙な概念が登場する)。こうした企業の経営者たちは、資本家間で資本を融通しあうことで遊休資本を有効に働かせるという機能を果たす金融資本や企業への投資の見返り(配当)や株式の売買でもうけようとする投資家たちの支配のもとで、実際に労働者から直接剰余価値を吸い上げる役割を任されているのであって、そういう意味で資本家階級内部でも支配・被支配関係があるというべきであろう。そしていわゆる「消費者」(その内訳はあらゆる形で資本家的企業に雇用されている労働者階級、小商店経営者、中小企業経営者などである)はそうした企業の人気取り政策(つまり「企業価値」を上げる努力)に振り回されて「いまのトレンドはコレだ!」と言われては、その商品やイベント(サービス産業などによる)を追いかけて、一生懸命働いて得た給料や稼ぎの大半をそれらに使ってしまう。

 何と惨めな大衆であろうか。結局は投資家たちの損得ずくの思惑に振り回され、自分は「生活を楽しんでいる」つもりでも知らぬ間に労働賃金の大半を彼らに貢がされているのである。そしてそうした状況を生み出している投資家たちがそっぽを向き、資本調達が困難になった企業は業績を悪化させ、労働者は解雇され社会全体の雇用が減ることに対して、いまの政権はただただ、「経済成長がすべてを救う」といって資本家階級を最優先で支援するのである。しかし経営の苦しくなった資本家たちは、政府の恩恵を受ける一方で安い労働力を求めて生産拠点を海外に移し、国内の失業者は一向に減らない。潤うのは、労働者を減らし、経営を「合理化」した企業や、うまく安い労働力を獲得して利益を確保している企業経営者たちであって、失業したり低賃金労働に喘ぐ労働者階級では決してないのである。

 そして、個別資本家企業のもとでは決してできないすべての人への医療介護の保障や労働できなくなった人たちへの社会的保障、そして大災害への全社会的対策など、いわゆる社会的共通ファンドに必要な資金は、本来労働者の労働が生み出す剰余価値部分によって彼ら全体に直接還元され共有されるべきなのに、それを資本家たちの私的利益として吸収させ、さらにそれを一部の投資家のあくなき利益追求を維持させるために用いているのである。そして政府は国債を発行して、資本家たちがせしめた利益や富裕層からお金を集め、それを社会保障などに当てようとする。

 さらにその国債によるリスクの少ない利益をせしめようとしてまた世界中の投資家(個人投資家は数こそ多いが金額においては巨大金融資本家企業の占める割合が圧倒的に多い)たちがそれを売り買いし、巨額のマネーが動く。そしてまたそこにそれらの国債を「格付け」する企業という奇妙な連中(これは投資家間の共同利益調整機関といえるかもしれない)が登場し、その「格付け」によって世界の証券市場は引っ掻き回されて。国家財政も左右されてしまうのである。

 これでも自分の損得しか考えない投資家たちによって世界中の労働者階級が危機に瀕している現実を正視できない様な政権なら、われわれはそうした人々に従う理由など何ひつないではないか!

 

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