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2012年9月9日 - 2012年9月15日

2012年9月15日 (土)

国家や宗教と個人の間に存在する矛盾(尖閣そしてムハンマド)

 このところ、竹島や尖閣諸島の帰属を巡る、国家間の紛争が激しくなっている。また、アメリカでのイスラム教予言者を冒涜すると言われる映像への世界中のイスラム教徒の「反米」運動の激化が報じられている。この二つを十把一絡げにして論じるのは乱暴かも知れないが、次のような共通点があるように思う。
 両方の問題とも、理詰めで決着を図ることが難しい問題であること、そこには国家や宗教と「個人の自由」の間に存在する矛盾といういわば近代的個の実存における矛盾の問題が関わっていること、さらに付け加えるならば、両方ともにインターネットによる情報の即時性と共有性が介在していることだ。
 国家という存在は、実は「幻想共同体」なのだ、と言ったのは、かつての吉本隆明であるが、これはある意味で真実を突いていると思う。島の帰属を強調する国々の政府は、いわゆる「国益」を旗印としながら、帰属を主張するが、その「国益」の背後には、経済的利権が絡んでおり、それらの国の経済を支配しているグループの思惑が反映されていることは明白だ。
 そしてその政府の主張は、インターネットなどの情報網によって、あっという間に「国民」に行き渡り、相手の「国」への反発を誘発する。そこには、あたかも「国家=国民=その国に住む諸個人」という関係が成り立っているかのような幻想を抱かせる。
 尖閣諸島の存在などまったく知らなかったり、関心のなかった人たちも、「日本は島から去れ1」などというスローガンのもとで日本大使館への抗議デモに参加する。そしてこんな事件がなければ、個人的にはまったく問題のない親しいつきあいができていても、相手が所属する「国家」の所業とそこに住む個人の存在が同一視され、親しい個人付き合いも破綻する。そしてそれがエスカレートすれば、国家間の武力衝突となり、そこで何の恨みもなかった諸個人同士が「国家」を背負って殺し合いをさせられることになる。
 イスラム予言者を冒涜すると言われた映像にたいする反発も、互いに信ずる宗教が異なっていても、日常生活では親しい付き合いをしてきた人たちが、互いに「異教=異教徒=存在を否定してよい個人」として対立し、それがエスカレートすれば、殺し合いになる。リビアで殺害されたアメリカ大使館員は、このような矛盾の悲劇的犠牲者であると思う。
 インターネットが世界的に普及してきた現在、こうした悲劇的事態があっという間に、ナショナリズムに火を着け、国家間の戦争に発展する危険が高まっているように思う。おそろしいことである。
 われわれは、「国民」である前に、共同体社会の中で日々働き、生きている生活者であり、国境を越えて地球全体での人類共同体の中で互いに支え合って生きている存在なのだ。そのことを忘れるべきではない。いまこそそういう視点で世界を見るときなのだと思う。
 「国家」のキャンペーンにだまされてはいけない。「国家」という幻想共同体の名の下に、自分を犠牲にし、他者を傷つけ殺すようなことは決してやるべきでない。
 インターネットは、むしろ「万国の労働者、団結せよ!」の方向で生かされるべき手段なのではないか?

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