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2012年9月30日 - 2012年10月6日

2012年10月 1日 (月)

普天間そして風速60m/s

 9月下旬、沖縄のもとジャーナリストで現在音楽家の知り合いとその家族に会い行ってきた。一つの目的は、沖縄の基地の姿をこの目で見たかったこと、沖縄の人々の暖かい雰囲気に触れたかったことである。
 友人はまず普天間基地の見える丘に案内してくれた。そこはかつて旧日本軍のトーチカなどがあった場所で、後方の山頂には旧琉球王朝の居城であった浦添グスクがあり、前方は普天間から海へ開けた場所である。ここで日本軍は上陸してきたアメリカ軍を迎え撃つことになっていたが、艦砲射撃や空爆でめちゃめちゃに破壊されたのはここに住む住民であった。ここから基地を見下ろすと、まさに宜野湾市のど真ん中の大半の面積を基地が占めていることがよく分かった。ここがアメリカに占領され基地ができる前は、サトウキビ畑や農家などが散在するのどかな村だったらしい。空爆、艦砲射撃とそれに続く地上戦での殺戮でめちゃめちゃに破壊されたこの土地に米軍の基地ができた後に、数十年の間に、返還を想定して市街地が周辺に成長して今のような状況になったようだ。
 基地の周辺を車で移動してみた。何と基地のゲートの真ん前に宜野湾市役所があった。基地に添う鉄条網を張った塀沿いにたくさんの人たちが集まって旗やプラカードを持って、警備の警察官と対峙していた。オスプレイがやってくるからだ。この人たちは、何日も何日もずっとこうして抗議運動を続けているのだ。
 その2日後、那覇から少し離れた南城市の高台に滞在していた私は、猛烈な台風に襲われた。明け方から南東の風が強まり、むき出しのガラス窓に木の葉がちぎれて飛んできては、風圧で窓に張り付いた。窓外の景色は吹き付ける雨でかすみ、木々はちぎれんばかりに風に屈服させられていた。TVはアンテナの具合が悪くなったせいか時々しか画面が出てこない。
 朝の9時頃になって、ついに停電してしまった。そして昼近く、急に風が静かになって空が明るくなってきた。どうやら台風の目に入ったようだ。隣の家との間にあった塀が壊れてガタンガタンと音を立てていたが、静かになると同時に人声がする。玄関の扉を開けて覗くと、ガツンといって倒れた塀に扉が当たった。「あ、いま開けないで!」と声がかかった。目に入って風が止んでいるうちに壊れた塀を片付けているらしい。
 やがて逆の方向からすさまじい風が吹き出した。木々は今度は逆方向に大きくお辞儀をさせられている。
折れた小枝や何かの破片がガラス窓に当たって「コン、カチン」と鋭い音をたてている。もしどこかから少し大きな物が飛んでくればこの窓はたちまち破壊するだろう。そうなればもう家の中に猛烈な風雨が吹き込み、どこかに隠れなければ危なくなるだろうと覚悟した。まるで滝の様な雨が筋模様を成してガラスに叩きつけられている。ときおりドッと吹いてくる猛烈な風で鉄筋コンクリート造りの家が、ぶるんぶるんと震動する。不気味である。
 そしてとうとう電気が消えたまま夕暮れ時になった。電気が来ないと冷蔵庫も電子レンジも動かない。食料も買いだめしていなかったのでわずかしか残っていない。現代の生活は電気が来ないとまったく何もできないのだ。そこで、電池の残量が減ってきた携帯電話で連絡をとって、友人にクルマで迎えに来てもらい、必要な物だけ持ってとりあえずその友人の家に避難することにした。
 友人の家族と一緒に、停電していない地域で店を開いているコンビニかスーパーで食料を買うためにクルマで再び街に出た。あちこちで信号機が曲がったり、点灯していない交差点があり、慎重に走ってもらった。ところどころで道路際に木が倒れ、道を半分ふさいでいた。開いている店には駐車場待ちのクルマが列を成していた。
何とかすいている店を見つけ、必要なものを買って友人の家に帰った。そしてろうそくの火を頼りに友人の家族たちが夕食の支度をしているときに電気が復旧した。おかげで友人宅で楽しい夕食のひとときを持つことができた。この復旧は早いほうで、場所によってはこの後3日間以上も停電していた地域があった。しかしほとんどの人たちが何とか知り合いを頼って不便な生活を凌いでいるようだった。
 この台風の来襲でオスプレイの移動は一時中止され、私が本土に帰る日となった10月1日にそれが決行された。普天間での抗議運動は塀の外側では警察、そして内側では米軍の兵隊が繰り出され、大きな山場を迎えているようだ。
 この数日の経験で、感じたことは、沖縄の人たちが、日常的にお互いに助け合って生活しているという実感と、その日頃の助け合いでの繋がりの強さが、基地への反対運動でも大きな役割を果たしているらしいということだ。そして、そのような沖縄の風土が大きな包容力をもって、これまでの厳しい沖縄の歴史の中で人々を生き抜かせてきたということ。同時にその大きな包容力が限界に達するような状況になると、結束したものすごい怒りとしてそれが爆発するということだ。
 沖縄の人々の暖かさと包容力こそが、基地反対運動の大きなエネルギーになっているのではないかと感じた。

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