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2012年10月14日 - 2012年10月20日

2012年10月20日 (土)

マルクス経済学のキーポイント(4 過剰資本の処理とものづくり産業の衰退)

 前回述べたように、資本主義生産様式の内部で、つねに生産されもっぱら資本家の趣味のために消費される本来の奢侈品と、それとは本質的に異なる、労働者階級の生活資料の疑似奢侈品化が混在するのがいまの資本主義社会である。

 マルクスの時代には、今日のような労働者階級が「中間層化」したように見えることはほとんどなかったと見てよいであろう。それは、あたかも労働者階級が資本家の獲得した利益の分け前を頂戴し、それによって「豊かな生活」を維持しているように見せながら、実は相変わらず労働者階級は自らの労働力を「売り」に出さねば生活できない「賃金奴隷化(本来の奴隷と異なり労働者そのものが売買されるのではなく労働者は<自由な>存在でありながらその労働力を売りに出さねば生活できないという意味で)」した状態に置かれていることに変わりはない。
 欧米の資本主義社会では、20世紀中葉には、投資した資本が期待される利潤を生みだし得ない過剰資本と化して、もはや従来のままで拡大再生産できなくなってしまったとき、その過剰資本のはけ口として、労働者階級の生活資料の拡大生産に活路を見いだしたのである。
 つまり前述した、社会的総資本の再生産過程で、あえて II (v) 部分を増大させることにより、一見 m/v で表される搾取率(剰余価値率)が下がったように見せて実はそれによる  IIc 部分の増加を通じて、I(m+v) 部分を増加させるということにより、結局は、全体として資本の拡大再生産を維持していけるという方向に舵を切ったのである。
 そのために、資本家たちは、労働者階級に前貸しする資本 v を増やし、それによって労働者階級の生活資料「購買力」を強化させ、生活資料商品の拡大生産を通じて、生活資料商品を生産する生産手段部分(II c)の生産を増加させ、その生産手段を供給するI 部門をも拡大させることによって、資本全体としての拡大再生産を維持しながら過剰資本を処理することになったのである。
 だからいまの資本主義社会では、II v 部分が資本家にとって、m/v の許容範囲を超えない程度で増加しても、それを再び環流させることができ、そのために労働者階級に生活資料商品を疑似奢侈品化し、大々的な宣伝広告によって、その購買を促進させようとするのである。
 こう言うと、過剰資本の処理が生産的な資本に結びつくのであればそれはもはや過剰資本とは言えないのではないかという疑問が生じるかも知れない。しかし、ここでの「生産的資本」から生みだされる商品は、過剰消費(浪費)を促進させると言う意味での「生産的」なのであって、またその過剰消費を促進させるための宣伝広告なども当然、本来の意味からは「生産的」とは言えないものである。
 しかし、さまざまな原因でこの II v の水準が m/v の許容範囲を超えてしまうと、たちまち過剰資本の圧迫に苦しめられることになる。そこで資本家たちは、生活資料の生産を自国内ではない、より労働賃金の安い国々で生産する方向に転じ、それによって実質的に  IIv 部分を引き下げようとするのである。しかしこれにより、自国内での生活資料生産が圧迫され、その領域での労働者階級や農業労働者をその分野から放逐することとなり、失業率が増大するのである。
 その一方で、海外の安い労働力を買うために、国際的な資本の流動化が必要となり、いわゆる「資本のグローバル化」が常態化する。自国内で行き詰まった資本主義生産体制を資本のグローバル化という形での国境を越えた総資本の再生産としてとらえ直すことが問題となるのである。そしてかつて「ものづくり大国」であった日本もいまや「ものづくり」はアジアやアフリカなどの労働賃金の安い国々で行われるようになり、出来上がった安価な商品を国際市場に売りに出すことで利益を獲得している商業資本や、国際流動資本を右から左へと動かすことで利益を獲得する金融資本が資本家階級の頂点に置かれ、「ものづくり」産業から放逐された労働者階級は、生産企業ではなく、金融業、販売流通、広告宣伝やレジャー観光などの「不生産的」産業へと吸収されていくことになったのである。
 もはや総資本の拡大再生産表式( I(v+m) > IIc )は一国内でなりたつ関係ではなくなっており、v 部分を引き下げるための生活水準の低い国々への生産拠点の移動や、国際的為替レートの変化による輸出入のコントロールなどによってなんとか成り立っているのである。そのいみで資本は国境を越えた膨大な消費の拡大とそれをテコとした労働者階級の支配によって( I(v+m) > IIc )をかろうじて維持しながら何とか生き延びているのである。

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2012年10月18日 (木)

マルクス経済学のキーポイント(3 資本の再生産における奢侈品生産)

 マルクスが初めてあきらかにし得た、価値の本質と、その形態については、何度かこのブログで書いたので、省略するが、その価値論はそれによって資本家的商品のさまざまな様態の分析を可能にした。そのもっとも重要な分析の一つに、社会的総資本の再生産過程の分析がある。

 いま年間に資本が生産する商品のすべて(商品形態での社会的総資本)を考えると、それが次年度も同様に社会的総資本として維持され得る(単純再生産)ためには、商品形態の総資本を生産手段部類と生活手段部類に分けて考えれば、次のような関係がなければならない。

  I (v+m) = II c ここで、I は生産手段部類、II は生活手段部類であり、c は不変資本部分、v は可変資本部分、m は剰余価値部分である。生産手段部類の可変資本部分と剰余価値部分の和(I 部類で労働者が新たに生みだした価値部分)が、生活手段部類の不変資本部分( II 部類の生産に必要な生産手段部分)と等しくなるということである。

 このことは、I 部類の生産物である生産手段の一部( Ic )が、その部類の資本家自身の生産手段として用いられるとともに、残りの部分( I (m+v) )は I 部類の資本家と労働者の生活資料として、II 部類の生活手段商品の一部( IIc )と貨幣を媒介にして交換され、II 部類の生産物の残りの部分( II (v+m) )は、II 部類の中で労働者と資本家の生活資料として供給されるということである。こうして、互いに需要されるものを供給する関係において、社会的需要が充たされるという事を示している。

 そして総資本が年々拡大再生産を行うためには、I (v+m) > II c という関係が成り立たねばならない。言い換えれば、資本が拡大再生産を続けるためには、生産手段部類の生産物の労働者によって新たに生みだされた価値部分が、生活手段部類の生産物における生産手段(不変資本)部分の価値より常に大きくなければならないということであり、生産手段としての生産物がまず増加しなければならないことを示している。

 ここで、いわゆる奢侈品の生産について考えてみれば、つぎのように言える。たとえ、単純再生産という形においても、奢侈品は生産され、資本家自身が彼の収入として獲得した剰余価値部分とそれらを交換する。奢侈品は再生産に結びつくことなく、資本家の趣味や楽しみを実現するため、彼の財産の一部でその生産が賄われているということである。

 このことは、II 部類の生産物を生活必需品( IIa )と奢侈品( IIb )という二つの亜部類に分けて考えれば、そこに、IIa (m) > IIb (v) のという関係が成り立っていることになる。つまり、II 部類の生産物のうち、労働者が生みだし、資本家がまるごと獲得する IIa (m) 部分と、資本家のために奢侈品を生産する労働者の生活費部分 IIb(v) が交換されるのであって奢侈品生産の労働者の賃金はつねに資本家の剰余価値部分より小さくなる、ということである。

 ところで、20世紀後半の「先進」資本主義国では、労働者の「所得」も大幅に増え、奢侈品を買えるようになった、と解釈する資本家的視点は全くの虚偽である。事実は、労働者がいわゆる「可処分所得」によって奢侈品を買うのではなく、彼の生活資料の一部が「疑似奢侈品化」したに過ぎないといえるのである。

 労働者の賃金が高騰し、高価な家電製品やクルマなどを購入することが普通の生活となり、レジャーや観光にも支出できるようになったいう風に見るのは、あまりに単純である。労働者の賃金は、「労働力の価値」としてそれを再生産するに必要な生活資料の価値と同じだけ資本家が労働者に前貸した貨幣に過ぎないものであって、この貨幣は、疑似奢侈品的生活資料商品を生産販売する資本家の手に環流し、上記で述べたように、結局は資本家階級のもとにも戻るのである。

 資本主義社会においては、労働者は剰余価値部分を資本家と同じ意味での「収入」として獲得することは決してない。「収入」として見える労働賃金はあらかじめ資本家の手に環流することが約束された貨幣なのであって、現代の労働者階級は、一見高い給料に見える賃金を、高級家電製品やクルマそして住居という「高価な」生活資料を得るためにそれらを生産する資本家に渡すのである。

 現代の資本主義社会では、いわゆる生活必需品と本来の奢侈品の区別が付きにくくなっている。資本家たちはその収入の一部を本来の奢侈品購入に投じ、残りは資本の再生産過程にこれを投じるのである。しかし、労働者階級は、その賃金で、奢侈品に見える疑似奢侈品的生活資料を購入し、そのすべてを資本家たちの新たな収入源として提供することで生活しているのであって、労働者がそれを資本として投資するために獲得するのではない。

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