« 厳冬のアンシャン・レジーム到来 | トップページ | 雇用創出の実態 »

2013年1月 2日 (水)

いまやらねばならないこと

 とうとう2013年になってしまった。やらねばならないことは山ほどあるのに、中途半端に年々歳を取るだけのようだ。しかし、そうばかりも言っていられない。

 昨年の総選挙で日本の政治は一気に逆戻りしてしまったようで、悲しい。モノづくりに無上のよろこびを感じていた多くの日本人は、そのすばらしいモノづくりの能力をグローバル化した資本によってもぎ取られてしまい、ただひたすらに「消費」によろこびを感じさせられるように仕向けられてしまった。
 気がついたら自分たちの生活に必要なものはすべて、グローバル資本に支配され安い労働賃金で働かされるアジア、アフリカなどの国々の労働者の手で作られ、その差額でぼろもうけするグローバル資本によって国内市場に持ち込まれるようになった。
 そしてわが国の労働者階級はこうしたグローバル資本が輸入する生活必需品を得るために労働賃金の大部分を支払ったのち、わずかに残ったお金をさらに「消費」に向かわせるために待ち構える娯楽やサービスなどに注がされる。そのため、わが国には、生活に必須なモノを生みだす産業が衰退し、世の中になくてもすむような「娯楽・サービス産業」を生業とする人たちの比率が増える「腐朽化消費社会」が訪れた。この矛盾を理解することが出来ずに、さらに押し進めようとしているのがアベノミックス・ブレーンが率いる「経済成長至上主義者」たちである。
 わが国のデザイナーたちは、グローバル資本のおこぼれを頂戴する「先進資本主義国の富裕層(日本も含む)」むけに「付加価値」を付けて売られる高価な商品のデザインに全力を注がされ、われわれ「フツーの人々」は、労働賃金の安い国々での過酷な労働が生みだした、お世辞にも良いデザインとはいえない商品に囲まれて生活せざるを得ないのだ。
 そして、こうした「デザインの危機」にわが国のデザイン界(研究教育も含めて)はまったく無関心であり、相変わらず「価値創造のためのデザイン」などと言って自己満足に陥っている。私のような考え方を持った人間は「変わり者」か「偏向思想」の持ち主としてしか見られていない。まったく悲しい現実である。
 次世代のデザインを考えるためには、次世代の社会を想定しなければならない。確かに、安易に次世代の社会を「デザイン」することは危険であるが、そうばかりも言っていられない。少なくとも、いまの社会の陥っている明白な矛盾を描き出し、「そうではない社会」や「そうでないデザイン」を想定する必要はあるだろう。
 昨年の初頭にも同じような決意をこのブログに書いたが、今年もそれを継続しようと思う。「継続こそ力なり」である。年々老化し、破壊され始めている私の脳みそに健全な細胞が残っている限り、継続しなければならないだろう。それが私の生きる意味なのだから。

|

« 厳冬のアンシャン・レジーム到来 | トップページ | 雇用創出の実態 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/56451023

この記事へのトラックバック一覧です: いまやらねばならないこと:

« 厳冬のアンシャン・レジーム到来 | トップページ | 雇用創出の実態 »