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2013年2月 7日 (木)

ふたたび、がんばれ中国の労働者!

 尖閣諸島周辺の公海上で中国の巡洋艦が日本の海上自衛隊艦にむけて射撃コントロールレーダーを照射したことで、一気に両国間の緊張が高まっているが、その一方で、中国でアップル社のiPhoneを作っているFoxcon社で、労働者が初めて自分たちの代表を自分たちで決めることができたというニュースがあった。

 Foxcon社では、その過酷な労働に対して、労働者が堪えられず自殺するなど酷い状況が続いており、これに対する労働者の抗議が続いていた。しかし、中国では労働者の代表は共産党の官僚によってトップダウンに決められ、労働者の不満は押さえつけられ党や政府の方針が押しつけられていた。そして従業員3000人以上とも言われるFoxcon社でついに、労働者が自分たちの代表を自分たちの選挙で決める権利を獲得したのである。これは画期的な出来事だと思う。
 中国国内ではあちこちで労働者や農民の抗議運動が起きており、グローバル資本のくびきのもとで、低賃金労働をさせられている自分たちの立場に気づきはじめている。そして本来は労働者・農民階級の代表であったはずの共産党がグローバル資本と結託して中国の労働者・農民たちを低賃金・長時間労働に駆り立てていることがだんだん分かってきたのだ。
 日本や欧米から高度な生産技術を学びそれを自分たちのものにした中国の労働者たちが、なぜ日本や欧米の労働者と同じ賃金水準でないのか?この当たり前の疑問を彼らも自分自身に投げかけ始めているのだ。
 同じ労働をしているのになぜ同じ賃金でないのか?という疑問は出発点である。さらに、その賃金の差が「生活水準の差」と言われれば、じゃその「生活水準」とはいったい何なのだ?という疑問に進むだろう。結論から先に言えば、本来「生活水準」とは生活(つまり毎日食べて着て住むことによって労働力を再生産する過程)に必要な生活資料を生みだすのに要する労働時間量を基準とすべきであって、その労働時間量が少ない方が「生活水準」が高いと言えるのだ。
 価値はどこの国であってもその社会で必要なものを生産するために必要な社会的平均労働時間によって決まる量である。その社会の生産力に差があるときには、当然生産力の高い社会では同じものを生産するのに短い時間で済むから同じものが少ない価値量しか表さない。
 誤解されないように言っておくが、「賃金」という概念は資本家によって生みだされたものであって、彼らの頭の中では、生産性が向上すれば、生活資料は安く生産されるようになり、資本家に雇用されているからこそ生きてゆける労働者はもっと低い賃金でも生活できるのだから賃金は下げるべきであるという論理構造になっている。しかし、事実はその真逆であって、資本家は労働者の労働を搾取することによってしか生きられないのである。本来、労働者たちがその労働によって生みだした価値はすべての労働者たち(つまり労働者階級)に還元されるべきものである。
 生産力の高い社会では、生産力の低い社会で働く労働者と比べて短い時間で自分たちの賃金に該当する生活必需品の価値を生み出せる。もし以前と同じ労働時間働けば、その残りの労働で生み出された価値部分は剰余価値として、本来は自分たちの社会に必要な共通ファンド(医療・教育・介護・福祉・社会インフラなどなど)として蓄積され自分たちの生活に還元される価値量が増えるはずである。
 しかし、現実の資本主義社会においてはそうなっていない。生産力が高くなって増えた剰余価値部分はすべて企業を経営する資本家たちの収益となるのである。だから彼ら資本家はその剰余価値部分の大きさに見合った莫大な利潤を獲得できるのだ。
 これに対して労働者が不満を突きつけても、その増えた剰余価値部分のほんの幾ばくかを労働者の「懐柔費」として賃金に上乗せをするに過ぎない。しかもこの「懐柔費」は労働者によって生活資料商品の購買に向けられ、それらを生産する資本家企業によって再収奪され、資本家階級の間で再分配されるのである。日本の労働者階級が半世紀以上にわたって行ってきた「春闘」による賃上げ闘争はそうした現代資本主義社会での「儀式」に過ぎないと言ってもいいだろう。
 もう一つ重要なことは、「生活水準の差」=「労働賃金の差」とは言えないことである。生産力が同じになっても国によって労働者の賃金(つまり労働力の再生産費)が異なるのは、国によってその剰余価値部分の収奪の構造が異なる(これについては後日述べる予定)ことに加えて、国による通貨の価値表示量が異なることがある。中国国内で労働者は「人民元」という通貨で賃金を受け取り、それで生活に必要なものを買っている。日本の労働者は「円」でもらった賃金で生活に必要なものを買っている。しかし円と「人民元」はその価値の表示量が異なる。
 労働者の生活に必要なものの売買はその国の国内通貨で行われ(つまり労働賃金は国内通貨で支払われ)、そこで作られた商品が労働者を雇用する企業によって国際市場で売買されるときには、国際的通貨のレートで支払われるのである。そこでは円や人民元はドルなどの国際通貨に換算され取引される。その為替レートの操作によって同じ価値をもつものが、中国では安い生産費用(これは資本家用語であってその中に労働賃金が大きな割合を占める)で作られ、日本では高い「生産費用」で作られることになる。だからグローバル資本にとって国際市場では安い中国製品が圧倒的に強かった(「強かった」と過去形なのは、すでに労働賃金が高騰しつつある中国に見切りを付けてグローバル資本がもっと労働賃金の安い国々へとシフトしつつあるからだ)。いまもし、両国の労働者がともにドルで賃金を受け取ることになったらどうなるか想像してほしい。
 中国の労働者が不当に安い労働賃金で働かされて生みだした商品が、国際市場を席巻し、資本家たちが日本の生産拠点を縮小し、日本の労働者が仕事を奪われていると見えるのは、実は両国の賃金格差を最大限利用するグローバル資本家たちの企みのゆえであって、中国の労働者も日本の労働者もその意味で、共通の被搾取者の立場なのである。ナショナリズムを振りかざしての、ゆえなき憎しみ合いはまったく馬鹿げている。
 資本家の利益追求でしかない「経済成長」(そしてこの無制限の「成長」が地球の自然を急速に破壊しつつある)のために戦争の危険を犯してまで小さな島の取り合いをする両国政府のキャンペーンなどに乗せられることなく、両国の労働者階級同士が真実をしっかり見据えて手を結ぶ必要があることはあきらかではないか。
「中国の労働者がんばれ!」
 

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