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2013年4月26日 (金)

国会議員団の靖国神社への参拝をめぐって

 靖国神社春の大祭に160人を超える国会議員団が「私人」として参拝し、安倍首相はこれを容認した。当然の結果として韓国政府はこれに猛反発した。

 なんと馬鹿げた政治家たちの行為であろうか!菅官房長官は政府を代表して「どこの国の国民も自国のために戦って死んでいった人たちに尊崇の念を抱くのは当然であって、そのことを他国が云々することはおかしい」と述べていた。
 しかし、あの戦争で当時の支配階級から否応なしに戦場に引っ張り出され、そこで「国家のため」という名目で何の恨みもない他国の人々を殺戮し、その渦中で自らにも死をもたらされた人々やその家族の悲劇を想うとき、そこには「国家のために死んだ英霊」という祭り上げとはほど遠い現実が消し去られていることが分かる。
 しかもそうした人々を戦場に送り込んだ張本人であるA級戦犯とともにそこに「英霊」として合祀されていることへの戦死者の屈辱はいかばかりであろうか。
 本当はあの戦争を引き起こした責任を持つわれわれの先輩やその支配を引き継ぐ者たちは、その原因を解明し、徹底的に反省し、戦死者にたいしてまったく別の形で本来の慰霊の意味を込めてこれを世界に向けて表明すべきなのだ。靖国参拝は、こうした悲劇の原因を覆い隠し、「尊崇の念」という美辞麗句のもとにシンボル化した欺瞞的行為であるにすぎない。
 そしていまこの時期にわざわざ160人もの国会議員団が靖国を参拝することの政治的意味とその効果をいまの政権は最初から承知しているのである。
 しかも一方で安倍首相は、歴史認識においても、かつての村山談話の核心的部分にある「侵略」というニュアンスを否定し、学校で用いる教科書にまでその方針を押しつけようとしている。あの戦争での大陸における日本軍の行為が「侵略」でなくて何が侵略といえるのか?一方で最近の中国の尖閣列島周辺での動きについて、安倍さんはこれを「侵略の可能性」と捉えているのではないのか?
 歴史を正しく、つまり自分たちに都合の良い解釈としてではなく、科学的根拠に基づいてきちんと理解することの難しさは想像以上であり、そのことは韓国にも中国にも当てはまるといえるだろう。
 追記:「あの戦争が<侵略戦争>であったとし、戦争で死んだ多くの若者が<侵略戦争に駆り出されて犬死にした>とするのはあまりにもひどい、彼らは国を護るために命を捨てた英霊だ」という主張はある種の同感を得やすいかもしれないが、ここに大きな欺瞞が隠されている。
 それは、「侵略戦争に駆り出された若者」=「犬死」という結びつけ方である。個人と個人という関係では何の恨みも憎しみもない他国の人々を「国家の敵」というカンバンのもとで、殺さねばならなかった悲劇、そしてそのため自らも死に至らしめられたという二重の悲劇が侵略戦争の内実なのだ。これをいったい誰の立場から「犬死」などと言えるのか?「国家のために死んだ英霊ではなくて、侵略戦争で死んだ犬死だ」とするのは同じ事の裏返しの表現に過ぎない。
 何も知らない若者たちに侵略戦争を「侵略」と思わせないで「お国のために死ぬ」ように仕向けた連中(安倍首相の祖父もその一人といえるだろう)こそ、侵略の張本人であって、その犠牲となって死んだ若者や相手国の人々は、この苦い体験を「決してまたそうならないように」次世代に生かすために、それらの死を決して忘れることの出来ない歴史的教訓とすべきなのであって、それは決して決して無駄な死や犬死になどではない。何百万という血と死によってその歴史的教訓が初めて痛切な実感となり得たのだから。

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