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2013年5月 8日 (水)

朝日朝刊「オピニオン」欄の内田樹氏の意見にひとまず拍手

 今朝(5月8日)の朝日新聞「オピニオン」欄に「崩れゆく日本という国」と題した寄稿が内田樹氏から寄せられていた。内田氏によれば、「国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のこと」であり、一方で自国の国民を暴力や収奪、饑餓などから守るために政府が存在するが、他方では他の国のことは特段関心を持たないものであると言っている。この内田国家論には少々疑問があるがひとまずそれを置いておくとして、内田氏が言いたいのは、いま国家が国民以外のものの利害を国民よりも優先するようになってきたということである。その「国民以外のもの」とは「グローバル企業」である。かつて起業したのは日本であってもその株主も経営者も従業員も今ではすべて多国籍であって、生産拠点も国内に限定されない。このような「無国籍企業」でなければ国際競争で勝ち残れないことがマスコミなどによって「常識化」される。「株式会社の経営努力とは、もっとも能力が高く賃金の安い労働者を雇い入れ、インフラが整備され公害規制が緩く法人税の安い国を探し出して、そこで操業することだと(グローバル)投資家たちは考えている。」と内田氏は指摘し、「株式会社のロジックとしてその選択は合理的である。」とする。その上で、「だが企業のグローバル化を国民国家の政府が国民を犠牲にしてまで支援するというのは筋目が違うだろう」と言う。原発が止まって電力が高くなって生産コストがあがったので国際競争に勝てなくなると政府を脅し、自然破壊や汚染による環境保護コストや鉄道や道路の建設などの流通コストを国民からの税金で賄い、大学卒業者に英語力やビジネス即戦力を要求するなどで従業員の教育コストも国民に負担させている。一方でこうしたグローバル企業への奉仕に見られる「国民国家」の崩壊が国民の心を離反させないために他方では排外的ナショナリズムが不可欠になっていると内田氏は指摘する。日本人として結束して国際競争に勝つためには多少の犠牲は厭わないという意識を醸成するためだ。そしてこれらの流れの中でグローバル企業に蓄積される富はほとんどがアメリカなどの超富裕層のもとに集中し、われわれの元には戻らない。

 私はこの内田氏の主張に基本的に賛成であり、これは紛れもない事実であると思う。しかし、私の意見も言わせてもらおう。それは、そもそも「国民国家」なるものが、近代資本主義社会の産物であって、本質的に資本と賃労働の階級的矛盾を「国民」とか「国家」という形で覆い隠す機能をもった共同体であるということである。だからこの「国民国家の崩壊」は今に始まったことではない。資本主義国家が誕生して以来あらゆるところであらゆる形で矛盾が爆発して「崩壊」があり、それがまた別の形で再生してきたのである。日本の歴史でいえば中日戦争や太平洋戦争がその典型例であろう。だからいまグローバル資本に牛耳られる国民国家があちこちで崩壊しても、そのままではグローバル資本は死なず、再び何らかの形で再生するだろう。
 いまグローバル化した資本によりそれぞれの「国家」という幻想共同体の内部に押し込められ、搾取をほしいままにさせられているそれらの国々の労働者たちが、真の意味で国境を越えたインターナショナルな結びつきを持ち、グローバル資本と戦う陣営を生みださないかぎり決してそれは崩壊しないだろうということだ。

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コメント

野口さん、私も読みました。私の感想をコメントにさせてもらいます。

内田名誉教授の主張は端的に云えば、グローバル企業の行為は合理的で、悪いとは言わない。だが、その合理的な行為のうちの一つ、おれたちは移住するぞという恫喝は気に入らない。そのくせ、日本という国籍をまといつつ日本の国民の支援だのみというのが気に入らない。日本の国益だと抜かすからだ。そして、日本人に、低賃金、地域経済の崩壊、英語公用語化、サービス残業、TPP、原発再稼働を受け入れさせ、そして中国・韓国とのシェア争いという戦争に勝つために耐え忍べという外交的演出も気に入らない。

もう一つ国民国家の政府の振る舞いが気に入らない。なんで国民を犠牲にしてまでグローバル企業を支援するのか、節目が違うだろうと。そして国民国家の解体を見出す。悪いニュースである。だが、世界中がそうなのだから日本人だけが気の毒なのではないというのがいいニュースだと変な喜ばし方をして締めくくる。

そうしてメディアもそれに悪のりして恥じないと一言、掲載した新聞会社も批判する。当該新聞会社が内田論説を掲載するというのも悪のりであることを知っているのか知らないのか。

彼の矛盾点は、野口さんも指摘しているように、グローバル企業の論理が合理的ではなく、単に資本主義的生産体制という歴史的な状況の中の資本家視点においてのみ合理性を持つにすぎないことを理解できていない。また、政府とは資本家の政府であることを理解できていない。また労働者の歴史的な活動や主張を知らない。と云うことである。いいニュースをお教えしよう。労働者が資本家の頭の中をすっかり掃除するのに、資本家から剰余価値の独占的な支配権を労働者が取り戻すのに、それほどの時間は掛からない状況になっていると云うことだ。その怖さを内田教授は資本家的逆説で論説しているのである。彼の感性の出発点が、現資本主義状況の混乱とその絶望にあるのはよくわかる。

投稿: mizz | 2013年5月 9日 (木) 16時20分

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