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2013年5月 6日 (月)

次にやってくる危機(その1:ものづくり労働の衰退)

 資本主義国家からの「ものづくり」流出はいまの日本にはじまった訳ではない。19世紀末には、19世紀中葉に産業革命で世界の「ものづくり」の中心地であったイギリスからドイツやアメリカなどの後発資本主義国へと「ものづくり」が流出し、イギリスは「金貸し国家」となっていったことは周知の通りである( 私が1990年に短期間ロンドンに滞在していたとき、下宿のおばさんが、「いまでは鉛筆もイギリスでは作れないのよ」と言っていたのを聞いて驚いたことがあった)。

 20世紀前半、二つの世界大戦を通じて何千万という戦争による犠牲者を生みだしながら、アメリカが「ものづくり」の中心地となっていったが、それも1970年代以降は、戦後アメリカ的資本主義体制を取り入れた日本やドイツなどに追い上げられ、アメリカからも「ものづくり」は流出していった。

 そしていま21世紀初頭には、20世紀末からの鄧小平路線による資本主義経済化が進んだ中国に、安い労働力を手に入れるべくどっと流入したアメリカ、ヨーロッパ、日本などの資本をテコにして中国が「ものづくり」の世界的な中心地となって行き、日本の「ものづくり」もかつてのアメリカやイギリスと同様なことが起きつつあるのだ。

 それぞれの時代のそれぞれの国際的背景のもとに展開された資本主義国からの「ものづくり」の流出のかたちは決して同じではないが、そこにひとつの共通性が見いだされる。それは、資本がつねにグローバルな動きをもつのに対して、資本主義化する国家の内部で増大する労働者階級は、「国家」というタガを嵌められ、その国の通貨で労働賃金が支払われていることである。資本の価値は基軸通貨への換算率を操作しながら国際的な基準で計られ、それぞれの資本主義国家の「国民」である労働者階級の労働賃金は、その国の内部での平均的「生活水準」で計られる。
 例えば、1964年頃、私が大学を卒業してデザイン労働者として企業に就職した当時の賃金は月額1万8千円であったが、その当時は1ドルが360円であった。したがってドルに換算すれば月額50ドルの賃金であったといえる。しかし当時のアメリカの平均賃金は週給でも50ドルを遙かに超えていたと思われる。つまりアメリカの1/4以下の労働賃金で働いていたわけである。単純に計算しても、私が雇用されていた電機メーカーの製品がアメリカに輸出されれば、同様の製品が同様の生産システム、同様の労働形態でアメリカで作られる場合に比べて1/4以下(もちろんここにシッピング・コストなどが加算されるが)で販売できたことになる。
 資本論を読んだ人には常識であるが、資本を構成する価値は生産的労働者の労働によって生みだされたものであり、資本家的企業で生みだされる製品は、その製造に用いられた原材料や生産機械など(これらを作った労働者の過去の労働によって生みだされた価値)から製品に転移された価値部分である「不変資本部分 c 」と、労働力の価値すなわち労働力の再生産に必要な生活資料の価値(具体的に言えば、労働者の衣食住に掛かる生活費)として資本家から前貸しされた労働賃金つまり「可変資本部分 v 」そして、労働者がその雇用労働において自分の再生産に必要な価値部分を超えて生みだした「剰余価値部分 m 」(これは無償で資本家のものになる)で構成された価値を持つ。
 労働者は貨幣や証券といった「紙切れ」を食って生きるわけではないので、物的な生産物としての生活資料が必要であるが、それはみな労働の生産物(この中で「住」のために必要な土地だけは労働者が生みだした生産物ではなく、土地所有者の先祖たちが何らかの方法で過去において自然から簒奪したものである)であり、労働者たちは資本家から前借りした賃金によってそれらを「買い戻して」生活を営むのである(だから労働者の賃金は決して本来の意味での所得ではない)。
 しかもすべてが商品として市場を流通する資本主義社会においては、労働力さえもみずから価値を生みだす商品(労働力商品)として、労働市場(就職戦線)の中で取引される。もちろん労働者は資本家と違って生産手段を持っていないので、みずからの労働力を売りに出さなければ生きてゆけないのである。
 労働者階級は、まず資本家から前貸しされた賃金で、当然のことながらできるだけ安く生活資料を購入しようとする。しかし生活資料商品を作っている労働者の賃金もその国での平均的水準であれば、生活資料の市場価格は一定額より低くはできない。 一方で自らの資本で生産手段と労働力を購入し、それらを使ってものをつくって海外市場に輸出する資本家たちは、国際市場での競争に打ち勝つため何とか商品の市場価格を低く抑えようと必死になる。
 そこで資本家階級は基本的に二つのことを実行に移す。一つは、自分の商品の価格を規定する価値のうちで「可変的な部分」をできるだけ減らすため、労働賃金に反映される生活資料を労働力の安い国から輸入してその国内価格を低く抑えようとする。そしてもう一つは、生活資料の生産を「合理化」して同じ剰余価値部分を得るのに必要な可変資本部分の比率を低くしようとする。この「合理化」とは労働者数の削減と生産工程の効率化であり、要するに資本構成の高度化を行おうとするのである。
 その結果、まず、食料品や衣料品などの生活資料商品が労働力の安い国から大量に輸入されるようになり、それらを国内で作っていた企業あるいは農業者が市場での競争に勝てず、淘汰され、雇用されていた労働者や小規模自営農民が放逐される。なんとか「合理化」で生き残った企業では雇用労働者数は激減し、ここでも労働者は行き場を失う。
 こうして輸出商品を生産する資本家たちが可変資本部分の比率を低く出来たとしても、さらなる競争の激化に勝ち抜くために、次には自分の企業の生産現場を労働力の安い国に移すことを始める。その結果、輸出向け商品の生産のために国内で雇用されていた「ものづくり労働者」は後発資本主義国の安い労働力商品との競争に負け、放逐される。
 こうして日本国内での「ものづくり産業(農業を含む)」から放逐された労働者たちは、いま苦難の道を歩み始めている。このままではものづくり労働はイギリスのように日本からも消滅しかねない。

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