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2013年6月16日 (日)

プッチンプリンさんへのmizzさんのコメントに関連して

 先日私の「朝日新聞「声」欄の投稿から考えさせられるデザイナーの役割」に対して頂いたプッチンプリンさんからのコメントに関連してmizzさんからもコメントを頂いた。

 mizzさんがPCBの焼却処理施設、最終処分場、ごみ焼却施設等の建設に関わっておられたときの体験からのまことにリアルなコメントだと感じました。時同じくして復興庁の役人が、住民との話し合いの場に参加したのち、ツイッターで「左翼のクソどもから、ひたすら罵倒浴びせられる集会に出席。感じるのは相手の知性の欠如に対する哀れみのみ」というつぶやきを書き込んでいましたね。やはり役人の本音はこうなんでしょうね。彼はただそれを正直に書いてしまったので問題となった。

 mizzさんのコメントにあったように、あまい誘いやお金がらみの対応にも拘わらず原発や廃棄物処理施設の建設にあくまで反対する人たちは、うるさい連中でしかなく、それをいかに黙らせるかが役人の手腕になるのでしょう。そしてついには反対した人々は孤立化させられ「強制執行」という「合法的暴力」によってそれが排除される。反対を取り下げた人たちは「良識ある市民」として扱われるというのが大体の筋書きでしょう。これがいまの「自由と民主主義」のリアルな内容です。

 もちろん反対派の人たちも感情的になりすぎるのはまずいと思いますが、反対派の人たちがなぜ罵倒を浴びせかけなければならなかったのか、というその状況に至る経緯や背景を役人側は理解しようとはしません。表面だけ頭を低くしてみせますが、本音はあのツイッターの内容のようなものなのです。支配的な権力が決めたことをそれに従って執行するのが役人の仕事であり、住民の意見を聞くのはそれを押し通すための通過儀礼にすぎないのです。

 福島原発が設置されたときの住民の反応は今ではもう分かりませんが、危険への疑念を持つ人や反対した人もいたはずです。しかしそれらの人たちは原発を推進しようとする人たちの圧倒的力の前で孤立化され消えていったのではないでしょうか?

 あきらかな矛盾を「社会常識」として認めさせ、多数派のイデオロギーとなっている現実が腐敗の進む社会の中で次々とその本性を現し始めたという感じですね。

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