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2013年6月13日 (木)

プッチンプリンさんへ

 東日本大震災の直後に書いた「朝日新聞「声」欄の投稿から考えさせられるデザイナーの役割」にプッチンプリンさんからコメントを頂いた。

 原発を使わないとやっていけないような、エネルギー浪費型社会がなぜ出来てしまったのか?という反省から、それを招いたのは、次々と購買欲をそそる企業の戦略にのせられて次々にエネルギー負荷の高い家電機器を購入し、それらによる生活を作ってきたことへの反省が必要だという意見と、そんなものは私たちの意図ではないところからそうさせられてきたことが問題だとする意見がありました。
 私は、そのようなエネルギー浪費社会を作ることに積極的に関わってきたデザイナーやデザイン教育者も反省すべきだと主張しました。
 プッチンプリンさんは、これに関連して、原発を誘致した福島県の人々も、被害者としての実情を訴えるだけではなく、原発を受け入れそれによって潤ってきたことへの反省もあってよいのではないかと指摘されているわけです。
 私もプッチンプリンさんの意見は理解できます。しかし、おそらく原発誘致の話があった当時、福島のあの地域は大きな産業もなく、地域での生活は決して楽ではなかったのだろうと思うと、一概に、原発を受け入れた人たちの反省を求めることもできないように思います。
 やはりもっとも責められるべきは、ただただ「経済成長」を旗印として際限のない消費拡大を促進させてきた支配層の人たちであると思います。誰のための「経済成長」なのか?無制限な消費拡大が何をもたらすのか?ということを何も示すことなく、企業の利益を優先し、人々の生活をそのための手段とし、それによって企業が得る莫大な利益のおこぼれを地域の人々に適当にばらまけば文句は言わないだろうという、人を馬鹿にした許しがたい思想のもとに原発は作られてきたということを決して忘れるべきではないと思います。
 いまの安倍政権には、その反省はまったくないばかりか、原発を社会に不可欠のものとし、その技術を輸出することで大企業の利益を増大させようとしており、社会的共通経費である福祉、医療、年金などへの資金は企業からではなく日々汗を流して働いている人たちから消費税などという形で吸い上げようとしています。そしてそういう矛盾を覆い隠すために憲法改定し「強い軍隊を持った強いニッポン」を作り、それに疑問を持たせないよう、子供の教育内容まで偏向させようとしています。
 もう騙されない。次の選挙で彼らが圧倒的多数になることが、結果として将来どれほど私たちの生活を脅かすことになるかを考えるべきだと思うのです。

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コメント

誘致した福島県民が、なぜ「自分たちは、もっと反対するべきだった」と言わずに、いつまでも被害者としてだけのコメントに、苛立ちを、持っていると、ブリンさんは正直に気持ちを述べておられます。でも、

でも、誘致させる側、誘致を迫る側、開発側、建設側に回った者から見れば、いかに反対を貫くことは困難か、いかに反対をねじ伏せるかに係わった者から見れば、まずは反対などものの数ではなく、政治的・経済的・義理的・法律的に収束することができる単なる手続きであるかをよくよく職務として経験しています。

もし反対を続ける人がいたら、様々な策謀に限りはありません。反対の反対は強行撤去とか、テロ圧殺とか、犯罪や法律違反として検挙するとかの国家的な手段はよく知られているところです。最初は甘言やらお土産やら、小遣いやらですが、後にはパワハラとか、嫌がらせとか暴行にとなり、一般市民には大きな負担となるはずです。国も市も村も警察も裁判所も加担します。

それでも反対する人はいますが、知識と経験と覚悟がなければとても反対し続けることはできません。軍や特高や憲兵が居なくなっても、その圧殺力は政府以下社会に存在し続けています。他の近隣の人々も暗黙の圧殺勢力になっていないとは言えません。反対を貫くべきだという言葉もその一つになります。妥協せざるを得ない人に云う言葉ではありません。

私は、PCBの焼却処理施設、最終処分場、ごみ焼却施設等の建設に係わって来ました。建設反対を唱える人々に必ずぶつかります。環境アセスメント報告書を作成し、公開して意見を求めることになります。反対を書類で提出する人々も少なくはありませんが、それらの意見書に対応する行政側は木で鼻をくくったような書面以上は出しません。これで終りです。強制執行準備完了です。

法的な正規の手続きを正すのは、国会ですが、国会がこれらの地域の反対者の意見を受け入れて、法改正した話は皆無です。推進側国会は絶対安全とか経済発展とか国民の偉大なる資産とかのたまうだけです。

あなたが、これらの施設建設に反対するとか、立ち退き問題に迫られるとかした場合には、反対するという生き方を迫られることになりますが、生命の危険にも及ぶ社会的制裁にたじろぐことでしょう。

建設側は儲けることだけで他の話はどうでもいいのです。彼等は物を造りその物がどうであろうとどうでもいいのです。それが社会の自由の基本とほざくのみです。廃炉事業を推進するために、放射線廃棄物の処分場を建設しなければなりません。これも商売の話でしかありません。どのように国民を押さえつけるかいまから対策に熱心なご様子で、事前に国民に説明すると云う方法を口にしていますが、内容はガス抜き、パカに喋らせて、そのバカぶりを笑うやらせの仕組みを用意しているのです。それでも反対し続けて白紙撤回まで追い込むことができるのは、ただ今後の歴史の産物以外にはありません。歴史は進展しています。彼等にとってもそれをどうすることもできはしないのです。

歴史とは人間の社会的活動の局面です。反対の集積が質に転換する時期がやがてやって来ます。法は今とは全く違って、合法詐欺的なものではなくなるはずです。処分場は必要でしょう、でも多くの反対の産物のはずで、小さく、管理しやすく、投入物も限られることになるでしょう。反対が作り出すもので、資本が作り出すものではなくなるでしょう。資本は勝手自由にものを作ることができなくなり、己の存在を、武士・侍のように消滅させられ、サッカーチームの侍精神のように資本家精神と言われるだけのものとなります。侍には多少褒め言葉の感がありますが、資本家精神は多分笑われる存在に近いだろうと思いますが。

投稿: mizz | 2013年6月14日 (金) 12時02分

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