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2013年6月17日 (月)

ものづくり資本のグローバル化と労働者の生活水準の関係

 今朝の朝日新聞「限界ニッポン」欄で「グローバル化は、現地化」というタイトルの記事が掲載されていた。そこでは、日本の代表的電機メーカーであるパナソニックの社員が、中国各地を巡って安い価格で部品を提供してくれる中国企業を探して歩いている現実が報告されている。これまで各事業部ごとにばらばらに仕入れていた部品をまとめて調達し、仕入れ価格を下げることに注力している。そこでの社員は「国内の下請けメーカーの仕事は減るが、そうしないとパナソニック自体が海外のライバル企業との競争に生き残れない」と語っている。すでに5割という海外調達率をさらに引き上げないとやっていけなくなるということだ。

 また、自動車業界では日産がタイ日産という系列企業の経営する現地工場で主力車「マーチ」を生産し、ここから日本やアジアに輸出している。インドやメキシコでも同じクルマを生産し、ヨーロッパ、北米に輸出している。タイ日産の社長は「世界で最新モデルを同時期に一斉に販売しようとなると、市場に近い工場で部品を調達し、早く作ることが求められる。生産のグローバル化を徹底するには、結局(生産の)ローカル(現地)化が必要で、いずれ日本からもらう部品はなくなる。」と言っている。
 さらに日本の大企業に部品を調達してきた中小企業経営者たちも、集団で海外生産拠点を移して行きつつあり、日本人労働者の雇用は減る一方である。こうして日本の製造業の「根こそぎ空洞化」が進んでいるという事実が報告されている。
 これはやがて日本から「ものづくり」がなくなることを意味しており、例えものづくり企業が残っても、それは海外の安い労働力による「ものづくり」の上に立っているという状態になることを意味している。
 つまりいま進行中の資本のグローバル化は、一方で資本そのものが国境を越えてグローバル化し、国際市場での競争を激化させているが、それは一方で安い労働力を維持する国で生活し、国境を越えられない労働者たちの労働を前提にしているということだ。
 労働者の賃金は、彼らが生活するために必要な生活資料の価格(「生活水準」とは、労働者の生活に必要な生活資料の価格を国際的価値基準のもとで比較した場合の考え方である。)で決まるが、それは労働者が生活する国での生活資料の生産がさらに安い労働力によって成されていることが前提である。つまりその国の中でも生活資料を生産する労働者とグローバル企業のもとでグローバル商品を生産する労働者の間にも格差がなければならない。
 グローバル企業の海外生産拠点での低賃金労働が生みだした「競争力のある」商品は、国際市場において、いわゆる「先進資本主義国」や「新興資本主義国」といった生活水準の高い国々の富裕層や「プチ富裕層」(いわゆる「中間層」)という人たちに買われ、それらを通じてグローバル資本が莫大な利益を獲得しているのである。
 だからグローバル資本は、こうした国々での生活水準の差が絶対に必要なのであって、それはまた各国内での格差をも必要としているのである。
 「アベノミクス」の中身を見れば、安倍政権がグローバル資本の代表政権であることは明らかであるが、表面で「働く人たちの所得を増やすことが必要」などと言いつつも、彼らの本音では、自由競争の社会では格差があるのは当然であり「国益(つまり日本に拠点を置くグローバル企業の利益)」を護るためにある程度の痛みは当然、という暗黙の了解があるのである。だからこそ、いままだ福島原発の惨状が生々しいにも拘わらず、国内産業のために原発を「必須化」し、海外で原発技術を売りまくるという暴挙を平気で行うことにもなるのだ。

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