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2013年7月16日 (火)

参院選にあたってこのことだけは忘れまい!

 前回の「参院選をこう捉える」にmizzさんからいただいたコメントにもある通り、各党の主張に「とりもどす」というキャッチフレーズが目立つ。自民党の「日本をとりもどす」は、誰が何をとりもどすのかが述べられておらず、自民党の長期政権がこれまでわれわれから奪ってきたものについては何ら触れられていない。

 1960-70年代には「高度成長政策」で大量消費社会を生みだし、それとともに「所得倍増計画」によって名目賃金の高騰を行いながら、家電製品やクルマなどの購買を促進させ、「便利で豊かな生活」という幻想をばらまきながら、実は庶民の生活を「お金のかかる生活」へと変貌させ、「お金がすべて」という社会観を定着させてきた。
 見かけ上増えた賃金は、必然的に資本家たちの手に還元され、1980-90年代にはそれによって蓄積された莫大な資本家的富を価値的根拠をもたないバブル経済へと必然的になだれ込ませ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という砂上の楼閣を築いたのちに、これも必然的にその崩壊を招き、1995年以降の長いデフレ時代を現出させたのではないか。
 そしてそれを打破すべく小泉政権が打ち出した「規制緩和」によって資本家たちは労働者の雇用形態をかれらに有利な形に変貌させ、若い人々の生活を悲惨な状態に追い込んだ。
 その間、半世紀にわたって、一方では自然環境の破壊や資源の枯渇を進行させ、他方では、大量消費社会に必須な効率的で確実なエネルギー源という名目で原発を次々と建設してきた。その結果がいまの現実なのではないのか。
 自民党政権が自ら生みだし、労働者たちの犠牲のもとに積み上げてきた、こうした無際限な経済成長という幻想を前提とした「虚偽の豊かさ」がむしろ当然に失われたからこそ今日の状態があるのではないか。それを「とりもどそう」としているのが安倍自公政権である。
 とりもどすべきものは、その間、人生のすべてをかけて懸命に働き続け、労働の成果ばかりか生活そのものまでをも資本家たちに捧げてきた、絶対多数の労働者たちによって生みだされてきた社会的富であり、とりもどされるべき人々はそれらを生みだしてきた人々ではないのか?
 われわれが目指すべきなのは、これまで辿ってきた「偽りの豊かさ」への幻想ではなく、その反省としての、これまでとは全く異なる次元の、そして当然そうあるべき社会なのではないか?
 それは、自然破壊や資源枯渇を必然的にもたらしてきた「高度成長期の豊かで活力ある日本」とか、労働者たちの生活がカネのかかる生活へと変貌させられた結果登場した「分厚い中間層」をとりもどすことではなく、まして「自虐史観」などと称して戦争で行われた歴史的事実までをもねじ曲げ、無意味なナショナリズムをとりもどそうとすることでもなく、あの悲惨な戦争の結果を招いた戦前の「古きよきニッポン」をとりもどすことでもないはずだ。
 社会を支えるためにそれぞれの場所で労働する個々の人々が、その社会貢献に相応しい生活を保障され、それを持続できるような社会こそがとりもどされるべきなのではないのか。
 

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