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2013年8月 1日 (木)

「国民経済」の内実

 前回のブログ「再びうつ病・自殺者による社会的損失を巡って」に対してmizzさんからコメントを頂いた。これに関連して、「国民総生産」という指標の基底にある「国民経済」という概念のインチキ性について触れておこうと思う。朝日新聞がどうしてこういう政府発表の「国民経済」データを鵜呑みにするのかといえば、それは朝日新聞がその代表として自他共に許す「リベラル派」の考え方の基本的欠陥と無関係ではない。

 それは「国民」という概念の問題である。「国民経済」とか「国民総生産」とかいうときの「国民」では、そこに賃労働者とその雇用主である資本家との階級関係がまったく見えないようになっている。いわゆる「リベラル派」はこれに何ら疑問を差し挟まないのだ。
 前回の私のブログでも書いたし、それに対するmizzさんからのコメントにもあった通り、労働者が受け取る賃金は「所得」ではない。これは雇用主である資本家が要求する労働力を、労働者がその日々の生活の中で再生産できるように資本家が前貸した「可変資本部分」なのである。資本家にとっては「価値を生みだす商品」として必要な労働者の労働力は、生身の人間であり、モノではないのだから。
 労働賃金は労働者が日々生活するに必要な生活資料を購入するために使われ、それは生活資料を生産し流通させている資本家たちの手に渡り、結局、資本家間の利益配分において再び資本側に分配され環流するのである。
 一方で、資本家側は、労働者がその「生きた」労働において生みだす価値のうち、労働者自身の生活維持に必要な価値量(つまり可変資本部分)を生みだした後、そのまま労働を続ける(剰余労働)ことによって生みだされる価値部分(剰余価値)のすべてを無償で獲得している。これが「所得」である。実際には資本家はその労働者の労働の成果を商品市場でうりさばくことによって莫大な販売利益を上げており、その分が所得に加えられる。
 ここに、労働者と資本家がともに対等な「商品所有者」として、互いにそれを等価交換し合って社会が成り立っているとする資本家的「平等社会」イデオロギーの虚偽性とその矛盾に実在する階級関係の秘密がある。
 資本家たちがいかに「社会貢献」していると主張しようとも、その「貢献」は、彼の所有する企業が競争に勝ち、利益を生みだすために必要な労働を労働者から無償で引き出すことを第一の目標としており、そのための手段でしかない。
 だから労働賃金と資本家の所得をごちゃ混ぜにして「国民経済」だの「国民総生産」だのというのは、資本家側のイデオロギーに過ぎない。
 「国民経済」が労働者の「所得」としている部分は、実は資本家たちが一方的に獲得している所得をあたかも労働者と資本家が分け合っている所得のように見せかけているに過ぎないものであるし、国民経済学が「社会資本」と称している、社会が成り立つために必要な共通経費は、資本家が経営収支に計上する「法人税」や「厚生費」を除いてそのほとんどは資本家が所有する資本の一部から「可変資本部分」として労働者に前貸しされる賃金の中に含まれているのであって、労働者たちは、その部分を税金という形で、国家なり自治体なりに、資本家階級を維持させるために必要な社会共通経費として支払わねばならない仕組みになっている。
 本来なら労働者の労働成果から莫大な所得を獲得している資本家たちが支払わねばならないこの「社会共通経費」を、本来の所得がない労働者が負担する形になっており、だからこそ、増大する社会福祉や公的資金を賄うために「消費税」が正当化されるのである。
 資本家にとって「生きた労働力」の存在は必須条件である。だから労働者が生きていけない社会は資本家にとっても存在できない社会である。かつての「高度成長時代」においては、国内の労働力が資本の発展のために必須であったため、「所得倍増計画」などという名目で労働者の賃金を増額させながら、その可変資本部分の「購買力」によって資本家階級自身も利益を増加させることができた。
 しかし、昨今は、資本家は国内の労働力ではなく海外の安い労働力に依存している。だから、国内での労働者の存在は必須条件ではなくなった。切り捨てご免である。しかもかくも横暴になった資本家に、人生のすべてを賭けて資本家のために無償で剰余労働の成果を捧げ尽くし、グローバル資本に成長させてきた労働者たちの子孫がいま切り捨てられているのである。
 リベラル派の人たちは、このような「国民経済」の真実を決して理解しようとしないため、「分厚い中間層の取り戻し」などという幻想にとりつかれているようだ。

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