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2013年8月30日 (金)

「(戦争を)知らない世代こそが希望だ」という高橋源一郎氏への疑問

 始めに、私の前回のブログ「渡辺京二さんの「生きづらい世を生きる」を読んで」に頂いたmizzさんからのコメントについて。mizzさんが勝負に負けた将棋少年の話は、おもしろい。しかしこのような頭の良い少年が、戦争を知らないことを誇りにするようなことなく、あの戦争が何であったのかを彼の新鮮な目で確かめ、「60年続いた平和」という虚偽の幻想を払いのけて、いまの世の中の現実を直視してくれることを期待したい。

 8月29日の朝日朝刊、論壇時評に載った、作家、高橋源一郎氏の「戦争を伝えるーー 知らない世代こそが希望だ」という投稿記事について触れておこう。高橋氏は、私がブログに取り上げたこともある社会学者、古市憲寿氏の朝日新聞への投稿記事「戦争、知ったかぶりをやめないか」のもとになった著著、「誰も戦争を教えてくれなかった」を読んで、古市氏の「僕たちは戦争を知らない。そこから始めていくしかない。背伸びして国防の意義を語るのでもなく、安直な想像力を働かせて戦死者たちと自分を同一化するのでもなく、戦争を自分たちに都合よく解釈し直すのでもない。戦争を知らずに、平和な場所で生きてきた。そのことをまず気負わずに肯定してあげればいい」という言葉に感動したらしい。

 戦後の経済繁栄期に生まれ、戦争を知らずに育ってきた若い人たちが、それを負い目に考えていると思うのは間違いであろう。戦争を知らないで育ったことをだれも非難などしていないし、それは当然のことなのだから。それを「肯定してあげたい」とわざわざいう古市氏や高橋氏自身が、実は戦争を知らないことを負い目に感じていたのではないだろうか?

 戦争をしっているふりをして、「おまえたちは戦争の悲惨さをしらないから分からんだろうが」という調子で語る人がいるなら、それに対して若者が「知らないことの何が悪いんだ」と反発することも当然あるだろう。

 しかし、その「平和な場所」がどのような歴史の結果としてもたらされたのか、そのことを知ってもらいたい。「平和な場所」を生みだすために何百万、何千万という人々が不条理な戦争で犠牲になっているのだから。そのことは決して忘れてはならない。「安直な想像力を働かせて戦死者たちと自分を同一化するのでもなく」というのはあまりにも安直なとらえ方ではないか?たとえ安直であっても、戦死者と自分を同一化するという想像力がなければ、自分がいまこうして「平和な場所」で生きていることの深い意味が分からないだろう。

 さらに言えば、「平和の体験」「平和な場所」と古市氏や高橋氏がいう戦後の60年間に、何があったのか、そしていま何が起きているのか、その間日本以外の各地で頻発している戦争で何が起きているのか、それを直視してほしい。この戦後の60年間を「平和な時代」として括ってしまうことの危険さをこそ、いまの若者に感じて欲しい。「戦争はいやだ」と思うなら、何故戦争が起きてしまうのか、どうしてほとんどの人たちが「いやだ」と思う戦争が起きてしまうのか、そしてだれがそれを起こすのか、それを戦争をしらない若者たちに考えてもらうためには、あの戦争の真実を知ってもらうことが必要だ。戦争をしらないことが自信になるような若者では決してあってほしくはない。

 

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