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2013年8月10日 (土)

コメントありがとうございました

 前回のブログ「戦争、知ったかぶりをやめないか、という奇妙な主張」に対して、高木章さんからコメントを頂いた。早速高木さんのブログを読ませて頂いた。そして私より遙かに若い世代の人たちにもこういう意見を持たれている方が(おそらくかなりの比率で)居られることを知って少し安心しました。

 高木さんのおっしゃる通り、いろいろな意見を持った人たちがいるのは当然ですが、東大大学院修了という学歴を看板にしてマスコミに取り上げられる新進の社会学者がこういう意見を前面に出すことには疑問を感じざるを得ませんし、これを取り上げる朝日新聞の態度にも疑問を感じます。
 ある意味であの戦争はまだ続いているのだと私は思っています。それは何世代にも渡って続く、戦争への反省なのだと思います。戦争を知らない世代の人たちは、父母や祖父母の時代にあった戦争のことなどあまり興味がなく、現実の生活の中で起きるさまざまな事柄にしか関心がないのも当然かも知れません。しかし、現在の私たちの存在は、意識しようとしまいと過去の歴史の結果であり、いま私たちは歴史的事実の蓄積の中にいるのだと思います。
 この過去の結果としての現在からどんな未来を構築するかを考えなければならないわけですが、それはいかようにも考えることができます。しかし歴史的過去を事実として背負うがゆえに、その重さゆえに、それを出発点とした未来への希望もその歴史的事実を糧とした重さを持つべきだと思います。歴史的過去を無視した「未来への希望」などというものはたとえそれを「文化」として構築し得たとしても、「軽チャー」と呼ばれるような代物に過ぎないと思います。そこではまた過去と同じ過ちが繰り返し生まれることになるでしょう。

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