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2013年10月22日 (火)

mizzさんのコメントに関連して

 mizzさんは、前々回の私のブログでデザイン学会秋季大会での記念講演が「文化創造としての工学」というテーマ行われたという私の報告と、前回のブログで紹介したその大会でのパネルディスカッションで日本の超一流企業H社のデザイナーが、もはやモノ作りをしなくなり、他分野の専門家たちとの交流で新しいビジネスチャンスを生みだすことを考えているという私の報告に対して、「デザイン文化の課題を取り上げるとすれば、当然ながら、韓国や中国その他の国の実務デザイナー(つまり実際にモノを作っているデザイナー)におまかせするか、資本家まがいの頭のデザイナーのなんやらに期待するかしか無くなったと言えるでしょう。さて生産者と消費者は遠く文化圏までも隔離されている状態ですから、また生産と生活も同じことですから、この乖離を取り上げてなんとかするのか、交流とか、一方、もうどうでもいいとあきらめて、現状を文化と言い換えるかしかなさそうです」というコメントを頂いた。

 まさにその通りで、いまやどこの国でもその国の文化の要素となるモノ(原島氏は記念講演で「モノより心が大切」と言ったが文化はモノとそれを使う人たちのこころとの統合体であろう)はさまざまな別の国々の労働者(頭脳労働も肉体労働も含めて)たちによって作られている。いま世界はグローバル市場を土台とした「グローバル社会」になりつつあって、そこではそれぞれの国での生産と消費のサイクルが生みだす独自の文化は失われグローバルな「文化の均一化」が進行しつつある。
 言い換えれば地球全体が、現代資本主義社会の先進国であるアメリカの生活に端を発した生活スタイルになりつつある。どこでも同じようにスーパーやコンビニで生活資料を購入し、同じようなクルマや携帯電話が生活の中に組み込まれ、同じような観光旅行のパックに乗せられて「レジャー」を過ごす。生活のすべてがビジネスに組み込まれ、広告で次々と宣伝される新商品を買わされ、まだ使えるモノを捨て、地球全体としては膨大な資源の無駄遣いをし、自然破壊を進行させる生活が「経済成長」を支えているのである。
 そこでは直接モノを生産している人々は、実際には文化の創造者では決してなく、つねに「消費者」として位置づけられ、もっぱら生産過程を管理支配している資本の意思によって生みだされた生活スタイルが押しつけられる。彼らは「消費者の要求」という言葉を用いながら、実はその「要求」自体が生産過程を支配している彼らの側から次々と誘導され醸成されている。そこに先進資本主義国の一流企業のデザイナーたちがいるのであって、デザイナーの「創造性」が求められる所以もそこにあるのだ。
 もし彼ら(デザイナーばかりでなくそれをも自らの意思の代行者として雇用している生産システムの支配者)が、自分たちこそが生活文化を生みだす旗手であると自負しているならそれは大きな間違いであって、実際はその破壊に手を貸しているのではないだろうか?
 mizzさんはさらに言う「遺伝子デザインの世界(いわゆる「デザイナーベビー」の話)では、目が青く、知性豊かで、体格のいい子供をご希望のご様子で、もう少し云えば、資本家で、莫大な資産を持ち、前貸しして資本の拡大を図る能力があって、それを果敢に実行する気力の持ち主の遺伝子が欲しいと。だが、そのためには、安い賃金で長時間、激しい労働をもって働く労働者の遺伝子をこっそりと大量にばらまく必要もあるので、それが絶対秘密のデザイン的操作方式だと聞く。アベノミクスの一方の秘密と同じで、第三の矢の実質はそれ。成長の裏地の、とあるデザイン、餓死、自殺、鬱、の制服模様。もう成り立つはずもなし。デザイン学会連はもう相当の究極的観念論世界」
 この厳しい指摘にデザインの研究者(私自身も含めて)はどう応えるべきなのだろうか?

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