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2013年10月12日 (土)

「市場化される日本社会」を巡って(その3)

 岩波の評論誌「世界」に掲載された表記特集の二つの評論について述べてきたが、一口に言って、堤氏の評論は優れた現状認識に基づいたものであるが、神野氏の評論は、はっきり言って「絵空事」といえるだろう。なぜなら、資本主義社会の本質を少しも捉えておらず、社会システム、経済システム、政治システムがそれぞれ独自に成り立つような幻想をもとに市場の民主主義的コントロールを夢想しているのだから。

 日本社会が市場化されたのは、いまに始まったことではない。神野氏のいう「近代社会」つまり資本主義社会の登場、展開、爛熟、崩壊の過程は、すべて社会全体が市場化され、資本の生産、流通、蓄積を浸透させる過程であるといってもよいだろう。

 宇野弘蔵の言葉を借りれば、商品経済社会の歴史的展開の中で「労働力までもが商品化される」社会が資本主義社会なのである。そして資本主義社会の歴史的展開は、その爛熟期に「社会主義圏」が登場したため、大きく軌道を修正せざるを得なくなり、やがてその「社会主義圏」が内部矛盾の露呈によって崩壊した後、再びもとの軌道に戻そうとする「新自由主義」陣営と、軌道修正をそのまま続けようとする「福祉国家」陣営(いわゆる「リベラル派」)に分かれて争っていると見ることができるだろう。そしてその中に中国というニセの「社会主義」を看板にした一党独裁資本主義国家がその他の資本主義陣営とグローバル市場を競いながら同時に相互依存関係を生みだしている状況と見ることができるだろう。

 そのような状況では、資本家陣営は、国家を最大限利用しようとして、一方ではグローバル市場での「自由貿易」の推進を図り、他方では、国家全体を「株式会社化」する。国家は国債を発行してグローバル資本市場から運営資金を調達し、それによって資本家に活動の場を拡げる。資本家たちは互いに「自由な」つぶし合いを繰り返しながら企業買収によって巨大化したピラミッド的支配構造を生みだし、国家の枠を超えて低賃金労働を漁り回り、国内では労働者を資本に奉仕させる仕組みを次々と生みだしていく。

 その中で各国の労働者は、互いに一個の労働力商品としての競争を強いられ、いかに有利に資本家のもとに自分を売り込むかが生きていくための最大の課題となる。資本家同士の競争と同じような競争が労働者個人間でも生じ、そこに「勝ち組」と「落ちこぼれ組」を生みだしていく。そこには労働者階級としての自覚とはほど遠い「個人意識」が醸成され、矛盾の中で個々に苦しみ続けなければならない状況になっていく。いかに資本家企業が過酷な労働を強いても、それに対抗し、頼れる労働組合も存在しないし、保護してくれる法律もない。いわく「自助努力」だけが声高に叫ばれる。

 「民主主義的」選挙といわれる選挙においては、真の意味で労働者階級を代表する政党はなく、どこもかしこも「国民政党」を自認する。そこでは「新自由主義」的陣営と「リベラル派」陣営の政党が競い合うだけで、その他は「新自由主義」的立場をさらに右傾化させようとする政党や、「リベラル派」をさらに左傾化させようとする政党があるだけである。

 そうした世の中では資本家も労働者も「対等な個人」としてしか扱われていない。そして富の源泉である生きた労働をすべて資本家に提供する労働者は、資本家と対等に「所得」を分け合う存在と見なされてしまう。それなのに、一方で労働者は「消費者」と呼ばれ、資本家は「生産者」と呼ばれる。まるで富は資本家が生みだしたとでもいうように。

 いまや世界中の国々がグローバル資本の支配のもとに置かれ、それぞれが「○○国株式会社」化しつつある。そしてそれらの国々が○○国株式会社間での競争に組み込まれ、政府間の条約や協定によってグローバル資本間の依存関係が進みつつある一方で、労働者たちは各国の国境の内部でばらばらな個人としての労働力商品間の競争に明け暮れさせられている。

 こうした状況では確かに資本が旧来のコミュニティーをどんどん破壊しつつあるが、だからといって、「家族主義」や「国家主義」にみられるような旧来のコミュニティー観への復帰を目指すのではなく、むしろ世界中の労働者たちが国境を越えてその階級としての共通の立場に気付き、互いに手を取り合うことが必要なのである。さもなければ、ふたたび私たちは、互いに何の恨みもない個人同士が国家という冠を被せられて殺し合わねばならない戦争へとむかうことになるだろう。「愛国心」や「ヘイトスピーチ」はその兆候である。

 日本株式会社の経営陣である安倍政権が「スピード感をもって」進めつつある、グローバル資本家のための諸政策に対抗し、日本株式会社の従業員たる労働者たちによる政党あるいは組合を生みだし、同じような立場に置かれている各国労働者たちとの連帯のもとで、グローバル資本政権に対抗しうる勢力を生みださないかぎり、 私たちの未来はないのではないだろうか?

 

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