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2013年10月 8日 (火)

「生き直すために」を読んで

 8日朝日朝刊「オピニオン」欄で「生き直すために」というテーマで人生のやり直しについて二人の論者が意見を述べていた。一人はコラムニストの小田嶋隆氏、もう一人はお好み焼き専門店「千房」の経営者、中井政嗣氏である。

 中井氏は、受刑者など、いわゆる世の中の「落ちこぼれ」と見なされている人たちを店に雇い働かせていることで知られている。多くの受刑者を雇い、店長として育て上げながら、自らも従業員教育の方法を学ばされると言っている。当然、退職者やトラブルは多いが、その中から人生の立ち直りに向かう人も多く出ている。その秘訣は信頼することにあり、信頼されることで人は大きく成長すると言っている。
 しかし、私はもう一人の論者、小田嶋氏の意見にある種の感銘を受けた。小田嶋氏は、大学卒業後、ある一流企業に就職したが、8ヶ月で辞め、さまざまなアルバイトなどで生計を立てていたが、ある友人から「パソコンの本を書かないか」と言われ、ライターの仕事を行うようになった。しかし30代からアルコール依存症になり、幻覚を見るほど重症になったため、医者にかかった。そして医者から、このままではいずれ人格崩壊、アルコール性痴呆に行き着くしかないので、とにかく一生酒を飲まないようにし、酒のない人生を新たにつくることだ、と言われ、酒を含めて好きなことをいっさい止め人生をリセットした。酒を止めることで、時間をもてあますことが多くなり、いろいろなことをやってみるようになった。仕事はうまくいくようにはなったが、それは目標でなく、あくまで結果であった。自分は「やめる」こと以外には何も達成していない、と言う。断酒自助グループでは、最初に「私は、自分では自分の人生をどうにも出来ない人間であることを認めます」と宣言させられるそうだ。これは一理あって、「自分で人生を立て直せる」と思い込んでいるとアルコール依存症からは逃れられない。ビジネス本に書かれているような「自分の人生を設計する」という感覚は、「カネさえあれば何でもできる」と同じくらい軽薄である。「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いであってそういう意識のあるかぎり、人生のやり直しはできない。就職のやりなおしでも「夢に向かって努力する」では、こだわりにがんじがらめになるだけ。自分がどの仕事に向いているかなんて、実際にやってみなければ分からない、と言う。そして、人生を途中からやり直そうとするなら、まず何かを捨てることです。捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。捨てた結果が良いか悪いかはまた別の話です、と言う。自分が会社を辞め、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くのものを失った。代わりに手に入れたものも明らかにある。あそこでやめていなかったら、いまのような人生は歩んでいなかった。どちらが良い人生だったかは分からないが、と言うのである。
 小田嶋氏は私より遙かに若い世代であるが、私が退職後に感じたある心情に似た体験をしていると思った。中年を過ぎてから自分を変え、人生のあらたな目標(夢)に向かって歩み始める、などというのがほとんど幻想に近いのが現実であろう。
 しかし、これは「人生あきらめの境地」かと言えば必ずしもそうとは言えないと思う。「つねに夢を抱いて生きよ」という美しい言葉は、その反面でそれが実現できない自分への絶望感がいっそう深くなる。小田嶋氏の境地は、そうした挫折感を何度も経験した結果たどりついた心境なのだと思う。絵空ごとの美しい言葉よりも現実を見るべきだということではないだろうか?
 受験戦争を戦い抜き、一流大学に入り、何とか就職できた会社で、就かされた仕事や人間関係が耐えがたく、退社して転職を図ってみても「夢」を実現させるような仕事にありつけることなどほとんどないのが現実であろう。ましてさまざまな事情でいわゆる「落ちこぼれ」になった若い人たちや中年層にとって、「夢に向かって努力する」なんて嘘くさくてしらけてしまうのが本当だろう。
 自分が何者であるかを意識させるのは、自分がどのような形で世の中と関わっているかによって左右される。その関わり方が、自分にとって耐えがたいものとなったとき、自分を「あるべき自分に」変えることでその耐えがたさを克服しようとしても、それはほとんど不可能である。結局それは、耐えがたい人生であることを自分のせいだと思わされていることであり、自分を変えることで何とかそれを受け入れようとする追い詰められた観念でしかないのではないだろうか?
 「あるべき自分」が現実からかけ離れているとき、しばしばそれは絶望感を深め、自死という道を選ばせることにもなる。しかし、そのどん底から見上げる世の中こそが、本当は変えられるべき対象なのではないか?
 

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