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2013年10月 3日 (木)

橋本努氏と稲葉剛氏の「消費税批判」を巡って

 10月2日の朝日新聞朝刊「耕論」で、表記二人がそれぞれの立場から安倍消費税増税を批判しているが、その内容が対象的なのでおもしろい。

 まず北海道大学教授の橋本氏であるが、その主張は、今回の消費税3%増税では財政赤字は防げず、何のための増税なのか思想が明確でないと批判する。安倍政権は、従来の新自由主義のような「小さな政府」下による自由競争に任せる(例えば小泉政権のように)という形ではなく、リーマンショック以来の世界的傾向として、国が借金して経済や福祉にカネをつぎ込むことを容認した新たな新自由主義の流れの一つであり、「北欧型新自由主義」に近いとする。そこでは金融をできるだけ自由化し、所得税の累進課税のような政府による裁量幅が大きい制度よりも全員に一律の高い消費税を課し、それを教育の機会均等や労働環境の整備などといった機会平等の実現のために回すという方法を採る。しかし、安倍政権では、財政健全化のための「規律」はあっても拘束力のある「ルール」がなく、相変わらず国が借金漬けになることから回避できないし、北欧型新自由主義のような「機会の実質的平等化」の思想が欠けている、と批判するのである。
 一方、自立生活サポートセンター「もやい」理事長の稲葉氏は、次のように安倍消費税を批判する。安倍首相は「消費税は社会保障を充実させるため」といいつつ、一方で生活保護基準を引き下げ、年金をカットしている。1990年頃の路上生活者のほとんどは、高度成長期に出稼ぎに来てバブル崩壊で仕事と住まいを失った50〜60代の人たちであったが、2000年代になると、若年層が目立つようになる。(小泉政権が促進させた)非正規雇用で働くが収入が少ないので居場所を転々とするワーキングプアーたちである。そして2008年にはリーマンショックで失業者があふれ日比谷に「派遣村」が現れた。民主党政権時代の初期には、所得が少なく生活が苦しい人たちの割合を示す「相対的貧困率」が公表され、「ナショナル・ミニマム」問題の議論が始まった。しかし、民主党政権が崩壊して安倍政権になってからは、いったん社会問題として取り上げられた貧困問題が、再び個人の問題として戻されようとしている。安倍政権の社会保障は基本的に家族の支え合いと企業による福祉が中心であって、例えば生活保護で扶養義務を強めようとしている。しかし家族と企業に頼った社会保障は、長引く不況の中では企業に余裕もなく家族の生き方も変わってきている現在では現実的でない。非正規雇用の割合が増え、将来的には低年金・無年金の高齢者が増えるのは必至なのに最低保障年金を導入しないでどうする気なのか。
 安倍政権の、デフレから抜け出せばすべてに困難が解決するかのような考え方は間違っている。富者が富めば、貧者にも富が浸透するという「トリックルダウン」の虚構はすでに小泉政権の時代にウソであることが明らかになっている。貧困から命を救うという観点からは景気の動向よりも社会保障が機能しているかどうかの方が遙かに重要だ。
 現実とかけ離れた安倍政権に、「国を信じていないが上手にだまされるならいい」という現実逃避的空気が日本に蔓延しているように思う。消費税であれ、社会保障や労働政策であれ、政府はこう言うが、事実は違うと突きつけることが必要だ。
 
 さて、この二人の消費税批判を見ると、橋本氏は大学教授というアカデミックな高見からしか問題を見ていないため、安倍政権への批判はきわめて甘く、教科書的で、むしろ安倍首相の政策を補完する政府経済顧問的な考え方であるといえる。
 それに比べて稲葉氏の批判は、現実をしっかり踏まえた鋭い内容である。その中でも、「国を信じていないが上手にだまされるならいい」という現実逃避的空気が日本に蔓延しているという指摘は、正にその通りと思う。
 経済がいわゆる「デフレ」になっている原因がどこにあるかを考えるだけでも、アベノミクスの「景気回復のためのインフレ政策」の間違いが見えてくる。
 グローバル資本同士の過当競争が過熱するいま、企業は安い労働力を求めて海外に進出し、国内の雇用は減っていく。労働者の労働力を食って生きている資本家企業にとって、労働力商品が買い手市場である国内では、安い労働賃金で働きいつでも首に出来る労働者を雇用することが過剰な市場競争の中で生き残るための原則なのであろう。そして政府もそのことを知っているが、それを世の中に公言すればたちまち政権の座を落ちることになるので、「経済活性化特区」などというものでごまかしている。実際には企業が上げる利益はほとんどすべてその過剰な市場競争に勝つために使われ、その利益のもととなる価値を生みだした労働者たちには決して還ってこない。
 「デフレ」からの脱却をねらって「異次元の金融緩和」で日銀からばらまかれたマネーは、貨幣の実質的価値をさげ、物価を高騰させながら、資本の回転を速めることで、それを右から左に動かす金融資本を中心に企業が「根無し草的利益」を獲得していくことで、一見経済が活性化したように見える。いわゆるバブルである。しかしこの「活性化」をもたらすマネーは結局すべて資本家同士の競争に勝つための資金や投資・投機でぼろ儲けをする富裕層のふところに入ることになり、ひたすら厳しい労働の中で社会を支えている労働者たちには落ちてこない。落ちてくるとすれば、富裕層のリッチな生活や娯楽に奉仕するような業種の雇用が創出されるくらいであろう。また、たとえ一般労働者の賃金が上がったとしても、生活資料の値上げ分に相当する位のものであろう。だから労働者たちは相変わらず不安定でカツカツの生活を余儀なくされ、将来が見えない自分の人生の今後のために生活防衛をせざるを得なくなっている。そこへ消費税の増税である。
 しかし、もしこの日銀から市場にバラまかれた莫大なマネーがすべて労働者の生活や社会保障のために計画的に用いられていれば、消費税など増税する必要はなくなるはずだ。「経済が活性化して企業が競争に勝って利益をあげれば、やがて賃金も上がり、消費も拡大して、経済の好循環が生まれる」などという嘘っぱちにごまかされないようにしよう。彼らは決して現実を見ようとしていないのだ。

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