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2013年4月21日 - 2013年4月27日

2013年4月27日 (土)

憲法改定論議を考える

 まず最初に先日このブログでも取り上げたアベノミクスの値下げ禁止令についてひとこと。昨日内閣はこの値下げ禁止令について、世間からのあまりの反発の多さにビビッて参院戦のことも気にしながら「直接消費税還元という趣旨を打ち出さなければOK」というコメントを発表した。しかしインフレ率2%を実現させたいという本音は少しも変わっていないことはいうまでもない。

 ところで今朝のNHK-TV週間ニュース深読みで、安倍政権の目指す憲法改定についてが俎上に上がっていた。なかなか面白い議論だったので、私の考えも少し書いておこうと思う。
 安倍さんの目論見は、9条を変え、国防軍を創設させたいことと、「公の秩序に反する」行為への法的規制の強化、つまり「表現の自由」への規制、そして古き良き日本の家庭に見られるような倫理観を取り戻す指針の条項を加えることであろう。安倍さんはそれを実現させたいために、96条を変え、「改定」に必要な国会での2/3を1/2にして改定へのハードルを低くしようとしている。安倍さんはアベノミクス人気の流れに乗ってこれをごり押しする気らしい。
 アベノミクスの空騒ぎに踊らされた挙げ句、うっかり参院選で自民党に投票し、参院で自民・公明与党が過半数を占めるようなことになれば、日本の社会は大きく歴史を逆行することになるだろう。若い人たちを「お国のために」あるいは「国際貢献のために」戦場に送り出すことが可能な憲法が国会でのスケジュールに上がり、やがては、前回このブログで書いたような、あの「靖国の悲劇」が繰り返される可能性も出てくるのだ。
 尖閣諸島での出来事や北朝鮮の核攻撃スタンバイという緊迫した国際情勢があって、マスコミがそれを煽り立てていることもあるが、多くの人々が「中国に武力で領土を取られてしまうのでは?」とか「北朝鮮からミサイル攻撃されるのでは?」と危惧している現在、「国を護るための軍隊が必要」という安倍政権の主張は賛同を得やすい雰囲気になっている。そして憲法改定によってそのような雰囲気が政権によって正当化されるようなことになれば、反戦や反軍の主張は「公の秩序に反する行為」として処罰の対象になり得るのだ。
 完全に経済の原則に反し、矛盾だらけのアベノミクスがその当然の結果として崩壊して、社会経済が行き詰まったとき、若い人たちは、職にありつけず、生活に希望が失われ、それが容易にネオ・ナショナリズムに結びつき、改憲・創軍は一挙に進むこともありそうだ。
 安倍さんは現憲法がアメリカ占領下で作られた憲法であり、現状に合わなくなっているので、日本人の手でいまの日本に合った憲法を作るべきだ」としており、御用学者たちは、同じ第二次世界大戦敗戦国であるドイツでは戦後50回以上も憲法が改定され、その過程で再軍備を成し遂げているのだから、日本もこうした「普通の国」になって国連多国籍軍の一員として「国際貢献」のできる国になるべきだ、と主張している。
 しかし、あの敗戦直後の日本で、大部分の日本人は新憲法に大きな期待と希望を見いだしていたのであって、それは他国から押しつけられた憲法であるなどという感覚とはまったくかけ離れた実感であった。そして当時のドイツにおいては、東西冷戦下で二つに割れた国が冷戦の直接ぶつかり合う場であった関係で、むしろアメリカをはじめとする連合国側がドイツの再軍備を強力に推進させたのである。
 私は憲法をまったくいじくってはいけないなどとは思わない。もちろん歴史的に見ていまの社会にそぐわない部分は直すべきであろうと思うが、それはあくまでこの社会の土台を支えている人々(労働者階級がその中心)の視点による歴史的な展望から判断されるべきであって、すこしずつ長い時間をかけて論議され、明確で科学的な根拠にもとづいて逐次直されていくべきものであろうと思う。安倍さんの目指す「改定」はまったく歴史に逆行する視点であり、われわれの先輩たちの過去の失敗や挫折を何一つ反省していない視点であるといえる。
 いまは歴史的に見ても大変危ない、そして大きな転換点であると思う。これからの社会のあり方を決めるのは「お上」ではなく、われわれ自身である。心して選挙に臨もう。
 

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2013年4月26日 (金)

国会議員団の靖国神社への参拝をめぐって

 靖国神社春の大祭に160人を超える国会議員団が「私人」として参拝し、安倍首相はこれを容認した。当然の結果として韓国政府はこれに猛反発した。

 なんと馬鹿げた政治家たちの行為であろうか!菅官房長官は政府を代表して「どこの国の国民も自国のために戦って死んでいった人たちに尊崇の念を抱くのは当然であって、そのことを他国が云々することはおかしい」と述べていた。
 しかし、あの戦争で当時の支配階級から否応なしに戦場に引っ張り出され、そこで「国家のため」という名目で何の恨みもない他国の人々を殺戮し、その渦中で自らにも死をもたらされた人々やその家族の悲劇を想うとき、そこには「国家のために死んだ英霊」という祭り上げとはほど遠い現実が消し去られていることが分かる。
 しかもそうした人々を戦場に送り込んだ張本人であるA級戦犯とともにそこに「英霊」として合祀されていることへの戦死者の屈辱はいかばかりであろうか。
 本当はあの戦争を引き起こした責任を持つわれわれの先輩やその支配を引き継ぐ者たちは、その原因を解明し、徹底的に反省し、戦死者にたいしてまったく別の形で本来の慰霊の意味を込めてこれを世界に向けて表明すべきなのだ。靖国参拝は、こうした悲劇の原因を覆い隠し、「尊崇の念」という美辞麗句のもとにシンボル化した欺瞞的行為であるにすぎない。
 そしていまこの時期にわざわざ160人もの国会議員団が靖国を参拝することの政治的意味とその効果をいまの政権は最初から承知しているのである。
 しかも一方で安倍首相は、歴史認識においても、かつての村山談話の核心的部分にある「侵略」というニュアンスを否定し、学校で用いる教科書にまでその方針を押しつけようとしている。あの戦争での大陸における日本軍の行為が「侵略」でなくて何が侵略といえるのか?一方で最近の中国の尖閣列島周辺での動きについて、安倍さんはこれを「侵略の可能性」と捉えているのではないのか?
 歴史を正しく、つまり自分たちに都合の良い解釈としてではなく、科学的根拠に基づいてきちんと理解することの難しさは想像以上であり、そのことは韓国にも中国にも当てはまるといえるだろう。
 追記:「あの戦争が<侵略戦争>であったとし、戦争で死んだ多くの若者が<侵略戦争に駆り出されて犬死にした>とするのはあまりにもひどい、彼らは国を護るために命を捨てた英霊だ」という主張はある種の同感を得やすいかもしれないが、ここに大きな欺瞞が隠されている。
 それは、「侵略戦争に駆り出された若者」=「犬死」という結びつけ方である。個人と個人という関係では何の恨みも憎しみもない他国の人々を「国家の敵」というカンバンのもとで、殺さねばならなかった悲劇、そしてそのため自らも死に至らしめられたという二重の悲劇が侵略戦争の内実なのだ。これをいったい誰の立場から「犬死」などと言えるのか?「国家のために死んだ英霊ではなくて、侵略戦争で死んだ犬死だ」とするのは同じ事の裏返しの表現に過ぎない。
 何も知らない若者たちに侵略戦争を「侵略」と思わせないで「お国のために死ぬ」ように仕向けた連中(安倍首相の祖父もその一人といえるだろう)こそ、侵略の張本人であって、その犠牲となって死んだ若者や相手国の人々は、この苦い体験を「決してまたそうならないように」次世代に生かすために、それらの死を決して忘れることの出来ない歴史的教訓とすべきなのであって、それは決して決して無駄な死や犬死になどではない。何百万という血と死によってその歴史的教訓が初めて痛切な実感となり得たのだから。

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2013年4月25日 (木)

アベノミクスの「値下げ禁止令」をめぐって

 昨日から、政府が、来年からの消費税増税で「消費税還元セール」などという名目で安売りを行うことを禁止する法案を打ち出したことが話題になっている。

 暮らしに必要なものが少しでも安く買えるのは生活者としてはありがたいことである。ただでさえ雇用が不安定で賃金が上がらない大部分の労働者にとって、生活資料が増税で高くなれば生活がますます苦しくなるからだ。それを「安売り禁止」とはなにごとだ!
 たしかに、一部卸売り業者や小売り業者にとって、コスト的に余裕のある大手企業が値下げ競争で圧力をかけてくるのは厳しいことだ。それはコストぎりぎりで商売する中小業者にとって死活問題になりかねない。政府は、それを防ぐことが目的であるかのように言っている。しかし本音はもちろんアベノミクスのインフレ政策にとってそれが障害となるからである。
 一方で学者先生は「政府が広告宣伝やセールに細かく口を出すのは小売業者の「営業の自由」を侵害する」(朝日新聞4月25日朝刊1面より)として独占禁止法にうたう「自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、消費者の利益を確保する」という趣旨に反するとしている。そもそも「自由な競争」とはいったい何のための誰と誰との競争なのか?そしてそれが何をもたらすのかといったことはこの学者先生にはどうでもいいらしい。
 この一件は、いろいろな意味で資本主義経済の矛盾を露わにしているといえるだろう。つまり、生活者ができるだけ安いものを買い、お金を節約して無駄な消費を抑えるというきわめて合理的な経済行動が、「デフレ」を招き、経済の支配者にとっては利益が上がらず不都合なことになるという矛盾。だから彼らはできるだけ消費(敢えて言えば無駄な消費)を促し、なけなしの貯金を使わせてものを買うように仕向ける。「消費拡大による経済の活性化」というヤツである。これ自体がすでに経済本来の原則に反している。そしてそれをスムースに行わせるためにお金を増刷(つまり価値実体のないお札をどんどん生みだ)して「天下の回り物」をできるだけ早く多く市場に回転させようと目論む(これは必然的にバブルを生む)。それによってまずお金を右から左に動かして利ざやをもうけている金融企業や投資家はカネを投資しやすくなり(つまり最初に彼らが儲ける)、次に産業資本企業はカネを借りやすくなり、それによって新規事業の開始や国際市場での競争に参入しやすくなるので、利益をより多く上げるチャンスもできる。そして政府は利益を多く上げることのできた企業から税金を少しばかり(消費税に比べればはるかに少ない税を)頂戴して、公的資金の一部に回そうというのである。
 だが考えて欲しい、アベノミクスで企業が利益を増やす前に、すでに消費税の増税が決まっている。結局、社会保障や医療保険などもっとも重要な公的資金の大半は労働者階級がその賃金から負担させられることになるのだ。ご用経済学者はこれを「受益者負担」だと言うだろうが、マルクス経済学を少しでも知っている人ならこれはとんでもない間違いであることは明らかであろう。
 そしてなによりも確かなことは、現在の国際競争下で、たとえ企業の利益が上がったとしても国内の雇用はそれに比例して増加することはなく、海外の安い労働力を求めて資本はどんどん国外に投資されるだろう。そしてたとえ国内の大手企業が利益を上げることができたとしても中小企業は大手との競争に勝てず、ほとんど大資本の傘下に組み込まれ、そこで働く労働者は相変わらず大企業との格差のもとに置かれるか人員整理されるだろう。そしてそこに消費税の増税である。
 来年のわれわれの暮らしはどうなるのか、まったくお先真っ暗である。アベノミクスで「ウハウハ」喜んでいるのは投資家や金融資本そして円安で潤う大手輸出企業と政府の方針が「人からコンクリート」にもどって潤う大手ゼネコンくらいなものであろう。

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2013年4月21日 (日)

アベノミクスにおける農業政策

 安倍首相はTPPへの参加に際して、海外の農産品市場への開放により予想される日本農業の不利益を巻き返すために、「攻めの農業」を目指すと言っていた。具体的には、農業経営の方法を企業経営の視点でとらえ直し、より効率的で、規模の大きな農業経営を行えるように政府が支援する、というものであった。

 民主党内閣時代にTPP参加の話が出たとき、大半の農家はそれに反対した。そして当時の政権も基本的には参加を目指すが積極的な参加には慎重だった。しかしいまでは、アベノミクスが鐘と太鼓で「いけいけドンドン」なので、「攻めの農業」で行くのが良いのではないか、という雰囲気に変わってきているようである。
 しかし、農業の企業的経営を推進するということは、従来のような個人経営の小農家が、徐々につぶされていき、それらが大規模経営の農業資本に成り変わって行くことを意味している。戦後の農地改革以来、小規模自営農業が主流となっていた日本と違い、アメリカなどの農業は最初から農業資本家による大規模農業経営という形を取っており、穀物メジャーに見られるような輸出産業となっている。国際市場でそれに対抗するためには同じような大規模経営が必要になるというわけだ。
 ここで考えねばならないことは、従来直接農作業を行ってきた自営農民たちは、そのような農業資本の経営のもとで、農業労働者として雇用される関係になっていくことは確実であろう。その過程では、高齢化した自営農民が次々とつぶされ、その農地が農業資本の手に渡っていく。そして農業資本家の所有地となった広大な農地で農作業を行う人々があらたに農業労働者として雇用されていくことになるだろう。そこでは少人数の労働者による機械やハウスなどの装置を用いた効率的で気候変動などにあまり影響を受けない農業が一般的となり、農業は産業資本家の経営する大工場によく似た農作物工場と化すだろう。
 この流れは、おそらく農業だけに留まらず、林業や漁業などのような第一次産業全体の資本主義経営化をもたらすことになるだろう。そしてやがてそれら日本の第一次産業を、企業買収などを通じてグローバル資本が支配していくことになるだろう。これはある意味で資本主義経済の「法則」であり、その中での「必然的成り行き」とも言える。
 その結果、日本の第二次産業や第三次産業のみならず、第一次産業までが、グローバル資本の支配のもとに置かれ、効率の悪い経営や業種はつねに切り捨てられて行くことになるだろう。ほとんどの日本の生産的労働者はそれらのグローバル資本の一環を担う企業に雇用されることなしには生活できないことになるだろう。そしてそこで、支払われる労働賃金をドンドン生活消費財の購入やレジャー娯楽などの第三次産業への支出に向けさせ、これを、それらの企業を経営する資本家の利益として獲得させたのちそれを金融資本などを通じて全資本家階級の手に分配環流させることが目指されるだろう。支配者たちはこれを「豊かで便利な生活の実現」という。
 TPPなどの目指す、「自由貿易体制」とは、一方でグローバル資本が国境を越えて自由にあらゆる国々の労働力を支配できる体制を作り、他方では、各国の国境内に閉じ込められた労働者階級が、互いに「国際市場で勝ち抜くために働け」と尻を叩かれ、労働力商品として競争し合わねばならなくなる体制の確立であることを忘れてはならないだろう。
 そしてこうした体制のもとで、無駄で過剰な消費を拡大させることによって生き延びる過剰流動資本が世界の経済を支配し、地球全体の自然が破壊されていくのである。もはやこの大規模破壊を誰も止めることができないのである。

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