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2013年5月12日 - 2013年5月18日

2013年5月15日 (水)

次にやってくる危機(その4:資本の絶対的過剰)

 3Dプリンターに見られるような、ものづくりの技術的変革は、つねに資本の相対的剰余価値の増大というモチベーションによってアクティベートされてきたのであるが、今はそれがひとつの大きな壁にぶつかっている。

 それは、いま地球全体に存在する(まだ発見されていないものも含めて)資源量は、一定であり、時々刻々太陽から送られてくるエネルギー量もほぼ一定であり増加はしないという自然的事実である。この地球全体のもつ資源量(エネルギー量も含めて)を E と置き、これに対して地球全体で人類が消費する資源量(エネルギー量も含めて)を C と置くならば、つねに C < E でなければならない。これは誰でも分かることであり、ひとつの公理であると言っても良いであろう。
 資本主義的生産様式は、相対的剰余価値を拡大させるために、歴史上もっとも急速に生産力を向上させてきたが、それはまず資本主義的生産と消費が一体となった経済圏(資本主義的国家)で、過剰資本(投入された資本に見合うだけの利潤を生み出せなくなる状態)の形成をもたらし、19世紀後半から経済恐慌を繰り返すようになった。しかし、20世紀初頭、それを植民地戦争や資本主義国間の戦争などを通じて市場の国際化を成し遂げることでひとまず乗り越えたが、次にその矛盾は1930年代に、世界的な金融恐慌という形でやってきた。そしてそれを今度は、過剰資本の不生産的処理という形で乗り切ってきたのが20世紀後半の資本主義社会であるといえるだろう。
 そこでは、いわゆる消費主導型経済を基本に、労働者たちの生活資料の購買欲や軍需生産の需要を引き金として、市場を活性化させることによって生産資本だけでなく流通、金融、第3次産業などが潤うシステムであったといえるだろう。
 しかし、いまやその無際限の消費拡大や無政府的国際市場競争は地球資源の消尽やそれにともなう地球環境の悪化を急速に推し進めていることは明白な事実となった。ここにおいて C < E という公理が資本の拡大に対する絶対的壁となって立ちはだかりつつある。 資本の絶対的過剰である。
 そのため、グローバル化した資本は、一つのパイである地球を少しでも自分たちに多く獲得しようとして激しい市場競争を繰り返している。その背後にはグローバル資本の政治経済機構となった資本主義国家間のあらたな地球資源争奪戦が展開されつつある。いわゆる領土・領海問題やそれを支援する軍拡競争はその一環と見てよいであろう。すでに、経済戦争という形で第3次世界大戦がはじまっているとも言える。
 そうした中で、われわれの目指すべき社会は、資本主義的イデオロギーのような「売れるモノはいくらでも作る」や「売るためにニーズを生みだす」のではなくて、「本当に必要なモノを必要な量だけつくる」生産様式であるといえるだろう。それは、 C < E の枠内で、いかに無駄なく世界中の生産と消費を回転させるかを考える立場であり、特定の資本家や資本家的国家が地球資源を勝手に奪い合ったり所有したりする経済体制ではなく、世界のさまざまな場所でさまざまな形でそれぞれ必要労働を担っている人々が同等な立場で地球資源を共有できるような社会経済システムなのではないだろうか。
 追記:誤解のないよう書いておくが、資本の絶対的過剰と言っても、世界中に富が有り余っているわけではない。世界中の富が、利益の手段として労働力を買い入れて生産活動を行わせているほんの一握りの「働かざる者」によって独占されているがためにそれは過剰なのであって、それらの富が「資本」としてではなく、生産物としてそれらを生みだしてきた絶対的多数の労働者たちに取り戻されることによってその「過剰」は解消されるべきなのである。

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2013年5月13日 (月)

次にやってくる危機(その3:3Dプリンターがもたらすものは?)

 昨夜のNHK-TVでも放映していたが、いま3Dプリンターの登場でものづくりの世界が激変しつつあるようだ。私が大学に在籍していた当時から「立体造型機」という名称ですでに実験室レベルでは登場していたが、その後、その精度や応用範囲が飛躍的に向上して、いまや金型産業を脅かしつつあるらしい。アメリカや日本そしてドイツなどの先進工業国では、国家プロジェクトという意気込みで、この3Dプリンターに「ものづくり再生」の期待をかけているようだ。確かに3Dプリンターによって複雑で精度の高いパーツや金型の製造が飛躍的にやりやすくなるだろう。

 おそらくこの3Dプリンターを最初に開発した企業はその特許料だけでも莫大な利益を上げるだろうが、3Dプリンターはたちまち世界中の高度なものづくり産業に浸透していくだろう。3Dプリンター自体最初は高価な機器であり、導入の壁が高いかも知れないが、それもやがて3Dプリンターメーカー同士の競争によって価格が下がり、規模の小さな企業でも導入できるようになるだろう。

 そうなると、いままで特殊技能でしか作れなかったものが、3Dプリンターの扱い方を学んだ者にはだれでも作ることができるようになるのだ。その結果、皮肉にもそれは「神業的職人技」によって他国の技術に差を保てていた日本の中小企業を中心としたものづくりが危機に立たされるということを意味する。

 これはある意味で資本主義社会の必然ともいえる。というのは、資本主義的生産体制でのものづくりの世界においては、労働賃金が高く付く特殊技能労働者の存在が、常に剰余価値率(可変資本部分に対する剰余価値部分の比率)の増加を求めている資本にとっては、可変資本部分の削減を妨げる要因になっており、それはやがて必ず、「誰でも出来る労働内容」に置き換えられていく運命にあるからである。そうすることによって、その労働は、どこでも手に入れやすくなり、したがって安い労働賃金によって行えるようになるからだ。

 しかし、現代のものづくりにおいては、むしろその特殊技能的労働を一つの「付加価値の源泉」とみなして、逆に高価な商品の理由付けにするということが行われている。例えば"made in Japan"や"Japan quality"が高品質の代名詞とされ、日本製のカメラや時計などが高価な商品としての奢侈品的市場を形成している。

 おそらく3Dプリンターの製造企業への浸透は、やがて中国やアジア、中南米、アフリカなどへと拡散して行くことになり、労働力の安い国へ安い国へと、生産拠点が移っていく傾向には歯止めが掛からないと思われる。そしてそれらの国々で高品質の製品が出来るようになれば、"Made in Japan"のブランドは何ら高価である理由のないものになるかも知れないのである。

 新技術の登場が、旧技術を駆使してものづくりをしていた労働者たちを追放し、結局は安い労働力で賄われるようになっていくことで、ものづくりの現場で価値を創造し続けている労働者たちが常に使い捨てされ、新技術の恩恵は常に資本家が独占し続けていくことになる。

 こうしてものづくりの世界は、一方で激化する資本主義的な市場競争の中で資本によるものづくりの独占がもたらす矛盾の激化と同時に、他方では、ものづくり技術の「大衆化」を押し進めることにもなるのである。このものづくり技術の大衆化が持つ潜在的可能性については別の機会に述べることにしようと思う。

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