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2013年6月9日 - 2013年6月15日

2013年6月15日 (土)

J. スティグリッツ教授のアベノミクス「批判」における虚偽

 今朝の朝日新聞「オピニオン」欄に参院選を前に安倍首相がその全体像を明らかにした「アベノミクス」にたいして、ノーベル経済学賞を受賞したアメリカ、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授がインタビューに応じて感想を述べた記事が載っている。

 スティグリッツ教授は、基本的にアベノミクスを支持しており、評価しているが、その中で問題点として、「格差なき成長」を実現するための所得再配分構想がないことを上げている。アメリカでの「リーマンショック」後、2009〜11年までの景気回復策によってGDPが回復したが、その増加分の1.2倍ものお金が所得上位1%の富裕層の手に落ち、残り99%の人々が一層貧しくなったという事実を挙げ、日本もそうならないように所得の再配分を工夫すべきだ、と述べている。
 そして所得の再配分が必要なのは、上位1%の人が下位の人たちに比べ、収入を消費に回す比率が低く、所得を再配分したほうが経済を刺激でき、成長させるための有効な手段になる、といっている。
 そしてさらに消費税は貧しい人々の負担を増すという逆進性を持った税であり、いまそれを行うのは時期尚早であって、経済成長が回復してから行うべきだとし、その代わりいま「炭素税」(化石燃料の消費に課す税)を導入すべきだと主張している。その方が、CO2の排出を減らし、エネルギー効率を良くするための技術開発や設備投資がすすむので経済にプラスになる、というのだ。さらに教授は朝日記者の「それでも消費税を引き上げるとしたら何をすべきでしょう?」という質問に対して、増税による税収の増加分と同じ額だけ支出を増やし(「均等予算乗数」という考え方)、低所得の人々への再配分につながる支出をすれば、消費やGDPをいっそう増やす効果があると主張している。
 インタビューアーの朝日新聞側は、これこそわれわれの言いたかったことだ、とばかりにこのスティグリッツ教授によるアベノミクス「批判」を支持しているようだ。
 しかし、ここでもう少し突っ込んで考える必要があると思う。それはなぜアメリカでの景気回復策が格差を増大させたのか、という問題があきらかにされておらず、単に、「所得の再配分」を対置させているだけでしかないように思える。「均等予算乗数」が2009〜11年でのアメリカで採用されたのかどうかは、私は知らないが、その後のアメリカの現状を見ても決して格差が少なくなっているようには思えない。
 そもそもスティグリッツ教授がひたすら目指す「経済成長」そのものに問題の本質があり、そこに「格差」を生みだす仕組みがあるにも拘わらず、そこでの矛盾が少しも抽出されていないのだ。
 資本主義社会がいかに「平等な市民」で形成されているように見えても、それは社会の土台をなす経済を資本が支配しており、資本の人格化である資本家たちによって動かされており、彼らが支配している「富」の源泉は実はそこに雇用されている労働者たちが生みだしたものである、という厳然たる事実を無視しないかぎり、「均等予算乗数」による「所得の再配分」などという思想は出てこないはずだ。
 労働者が資本家から受け取る賃金は、労働に対する報酬(つまり所得)などでは決してなく、労働者においては自らの労働力を資本家に提供し、その労働力の維持のため必要な生活資料を購入するための費用として、資本家から前貸(労働者の生活資料商品の購入を通じて結局は資本家たちの手に環流する資本であるといういみで「前貸し」なのである)される貨幣であって、資本家にとっては、労働によってそれ自身の価格(労働賃金)より多くの価値を生みだす商品としてそれを購入した「可変資本部分」なのである。
 労働者は、別の労働者たちが過去の労働において生みだしてきた生産手段を「不変資本部分」として所有する資本家のもとで、それを用いて新たな価値を生みだす過程で、自らの労働賃金にあたる価値部分を超えて価値を生みだしている。その超過分に対して労働者は何らの報酬をも得ていないのである。それは剰余価値として無償で資本家の「所得」となる。
 この基本的矛盾が「平等な市民社会における所得配分」という仮幻によって覆い隠されることによって資本は維持され「成長」し、ますます社会的支配力を拡大していくのが資本主義社会の仕組みである。スティグリッツ教授が主張する「所得の再配分」とは本当は、格差があまりに大きくなって労働者たちの不満が爆発し、反乱を起こさないよう資本家が独占している莫大な所得のほんの一部を「資本家階級の安全維持費」として労働者たちをおとなしくさせるために支出しようということに過ぎない。
 
 実際には、その仕組みは、今日の金融資本が支配する資本主義体制においては複雑な支配関係とそこから来るさまざまな矛盾を内包しながら、それを巧みに「国民」とか「国益」という資本主義的イデオロギーによって覆い隠しながら、社会を維持している。
 しかしこのようないまの社会の経済的仕組みのもつ本質的矛盾をあきらかにする経済学者には決してノーベル経済学賞は与えられないだろう。

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2013年6月13日 (木)

プッチンプリンさんへ

 東日本大震災の直後に書いた「朝日新聞「声」欄の投稿から考えさせられるデザイナーの役割」にプッチンプリンさんからコメントを頂いた。

 原発を使わないとやっていけないような、エネルギー浪費型社会がなぜ出来てしまったのか?という反省から、それを招いたのは、次々と購買欲をそそる企業の戦略にのせられて次々にエネルギー負荷の高い家電機器を購入し、それらによる生活を作ってきたことへの反省が必要だという意見と、そんなものは私たちの意図ではないところからそうさせられてきたことが問題だとする意見がありました。
 私は、そのようなエネルギー浪費社会を作ることに積極的に関わってきたデザイナーやデザイン教育者も反省すべきだと主張しました。
 プッチンプリンさんは、これに関連して、原発を誘致した福島県の人々も、被害者としての実情を訴えるだけではなく、原発を受け入れそれによって潤ってきたことへの反省もあってよいのではないかと指摘されているわけです。
 私もプッチンプリンさんの意見は理解できます。しかし、おそらく原発誘致の話があった当時、福島のあの地域は大きな産業もなく、地域での生活は決して楽ではなかったのだろうと思うと、一概に、原発を受け入れた人たちの反省を求めることもできないように思います。
 やはりもっとも責められるべきは、ただただ「経済成長」を旗印として際限のない消費拡大を促進させてきた支配層の人たちであると思います。誰のための「経済成長」なのか?無制限な消費拡大が何をもたらすのか?ということを何も示すことなく、企業の利益を優先し、人々の生活をそのための手段とし、それによって企業が得る莫大な利益のおこぼれを地域の人々に適当にばらまけば文句は言わないだろうという、人を馬鹿にした許しがたい思想のもとに原発は作られてきたということを決して忘れるべきではないと思います。
 いまの安倍政権には、その反省はまったくないばかりか、原発を社会に不可欠のものとし、その技術を輸出することで大企業の利益を増大させようとしており、社会的共通経費である福祉、医療、年金などへの資金は企業からではなく日々汗を流して働いている人たちから消費税などという形で吸い上げようとしています。そしてそういう矛盾を覆い隠すために憲法改定し「強い軍隊を持った強いニッポン」を作り、それに疑問を持たせないよう、子供の教育内容まで偏向させようとしています。
 もう騙されない。次の選挙で彼らが圧倒的多数になることが、結果として将来どれほど私たちの生活を脅かすことになるかを考えるべきだと思うのです。

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