« 2013年8月25日 - 2013年8月31日 | トップページ | 2013年9月15日 - 2013年9月21日 »

2013年9月1日 - 2013年9月7日

2013年9月 7日 (土)

IASDR 2013 での発表について

 8月27日〜30日に東京の芝浦工大豊洲キャンパスで開催された、デザイン研究の国際学会、IASDR (International Congress of International Association of Societies of Design Research) 2013で私が行った発表のスライドをアップロードしました。

 この学会は、1996年以来、日本、韓国、中国のデザイン学会が共催していたADC(アジアデザイン会議)にイギリス、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパなどの国々のデザイン学会や団体が加わり8年ほど前にいまの形になりました。2004年にメルボルンで開催された大会まで、毎回研究発表をしていましたが、その後、いろいろな事情で発表することができなかったので、今回は久しぶりの発表でした。

 今回は41カ国からの参加があり、賑やかでしたが、私の発表は一番最後のセッションに振られました。へたな英語での発表は冷や汗ものでしたが、なんとか質問にも応えられました。内容は今年の6月につくばで行われた日本デザイン学会での発表の拡張版なので、その概要を見ていただければ大体分かっていただけると思います。今回の英語でのプロシーディングは10ページと長いので、むしろスライドにまとめた方を見ていただいた方が分かりやすいと思い、それを下記にアップロードしておきました。

ダウンロード ISADR2013HNpresen.pptx (527.1K) 

 発表の主旨は、これまでのデザイン研究の中で、デザイナーの発想促進というコンテクストにおいて行われてきた「デザイン思考」の研究が、別の背景で最近とみに注目を集めていることに対して、私が25年以上続けてきたデザイン思考や発想支援の研究から得た自己批判的視点をぶつけてみようとしたものです。

 デザイン行為が従来デザイナーという職能に与えられた能力という視点でとらえられていたのに対して、最近は、より一般的な意味での設計、企画、構成などの意味で使われることが多くなっています。その背景は、商品のデザインを決めるためには企業の営業や企画戦略的視点が不可欠であるという認識と共に、ハード面だけではなく情報をデザインするという視点が必要となり、さらには、インフラ設計などにおける行政的能力や国家戦略などにもデザイン思考が必要だと認識されてきたことがあるようです。そして、そのような視点での「広い意味でのデザイン」ということばがいま飛び交っており、「デザイン科学」という研究領域が文科省のお墨付きで認められようとしています。

 このことは、マルクスが資本論の労働過程という部分で述べているように、デザイン思考が、もともと人間が「ものづくり」の長い歴史を通して獲得してきた普遍的能力であることから当然のことではあります。しかし、ここで決定的におかしいことは、マルクスの労働過程論を見ても分かるとおり、労働過程にあらわれるデザイン思考は、労働主体の目的意識が、最初はあいまいな形で頭に浮かんだものでしかなかったが、試行錯誤の過程で徐々にはっきりしてくると同時に、自分が問題をどう解釈し、どうその解決手段としての姿を生産物に表現(Represent)していったかの過程です。しかし、現実の社会では、生産労働者は自分が作っているものに自分の目的意識が表現されているとは思わないでしょうし、自分の生活や人生さえもデザインすることができません。

 デザイナーや設計エンジニアたちは、生産ラインで働く労働者と違って、自分の目的意識が生産物に反映されていると感じることがあるかも知れません。しかし、それは企業の戦略や商品企画という「与えられた目的」を自分の職能としての目的(ミッション)として受け止めることにすぎません。そのため、時には、必要ないと思われる頻繁なモデルチェンジを行わなくてはならず、効率よく人を殺せる兵器を設計させられることにもなります。

 与えられた仕事が面白いとか達成感があるということと、それによって生みだされたものが、どのような社会的結果を生みだしているかという問題は、無関係だ、あるいはトップの判断だから仕方ないと思わざるを得なくなっているのでしょう。それは、こうした頭脳労働者の労働内容は、人格化された資本としての企業経営者の思考の一部を代行するのが仕事なのですから仕方のないことなのでしょう。言い換えれば、資本主義社会では、そのような形で労働が疎外されているということです。

 そしてさらにおかしいことは、こうした「広い意味でのデザイン」を科学として位置づけようとする研究者たちは、デザイン思考における、主体的目的意識の表現過程あるいは実現過程については、ほとんど関心がないのです。分業形態の中で、目的意識はトップから降りてくるのは当然のことと考えているからなのでしょう。

 私は、デザイン能力はすべての人がもともと持っている能力であり、世の中を動かしている支配的地位の人たちや、その意図のもとで企業で商品のデザインをする人たちの特権ではないと考えています。そしてすべての人たちがもつデザイン能力を人間本来の目的意識の実現過程としてとらえ、なぜそれが、トップダウンの形でしか実現されないのか、そしてなぜそのトップダウン・デザインが世の中を良くすることができず、地球環境の破壊や、社会的富の偏在をもたらし、大多数の人々の生活状態を悪化させているのか、を自覚できるようなデザイン理論研究を進めていきたいと考えており、今回の発表もその一環なのです。

 1920-30年代に、発達心理学の世界でジャン・ピアジェと渡り合った、ヴィゴツキーという旧ソ連の天才的心理学者の提唱する「思考単位」というモデルをベースに、主体の目的意識がどのように生まれ、それがどのように試行錯誤過程で具体化され、自己表現として実現されていくのかを簡単なモデルとして表してみたものです。まだまだ私自身の「自己批判」が不十分なため、不十分な内容であることは百も承知していますが、何かご意見のある方は、コメントあるいはメール等をくだされば幸いです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年8月25日 - 2013年8月31日 | トップページ | 2013年9月15日 - 2013年9月21日 »