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2014年3月31日 (月)

閑話休題:サクラ散ル

 私の家の近くを流れる川の両岸に桜が植えられており、いまちょうどその花が満開になっている。強風にも拘わらず、精一杯開いた花はまだ一つも散らずに堪えている。

 長い受験戦争を「今年こそは」という希望を唯一の支えとして闘ってきた受験生にとって、受験した大学からの合否判定は身の縮む思いだろう。いまはないかもしれないが、「サクラ散ル」という電報を受け取ったときの、脱力感やむなしさは実に大きなものであった。「オレはダメな人間なんだ」という気持ちに陥って、しばらくは何もする気がおこらない。
 私の年代の人間は「サクラ散ル」のイメージがこういう切ない思い出につながるのだが、満開の桜はまたぜんぜん違ったイメージも与える。「パッと咲いてパッと散る」、あるいは「散るために咲く」その潔さが日本的美意識だという人もいるようだが、むしろ私はそこに別の意味の悲しさを感じる。
 戦争末期、日本では「桜花」という特攻機が設計製作された。大きな爆弾に操縦席と翼を付けたようなこの飛行機は、人間が操縦してそのまま標的に突っ込み爆破するために作られたものである。母機からこの「桜花」に乗り移って標的に向かうとき、彼らは何を考えていたのだろう。自ら志願してこれに乗った者も多かったといわれているが、それはある意味で避けがたく不条理な自分の運命をどのように理解するのかさんざん苦悩したあげくに到達した「華と散る潔さ」ではなかったのか?その心境を美化するのはあまりに痛ましい。
 そしていまの受験生の「サクラ散ル」を再び思い起こしてみると、社会背景や世界情勢はまったく変わってしまったが、同じように時代の流れに押し流される若者の苦悩が感じられる。
 大学ランキングを「フィルター」にして求職者の選別を行う企業が増え、ますます学歴社会がひどくなりつつあるようだ。「良い」大学に入るには家庭が裕福でなければならず、「良い」大学を卒業すれば人生は約束されている一方で、ランキングの低い大学しか入れず、就職もままならない若者は、人生の最初からとんでもない差別を受けていることになる。学歴差がそのまま階級差となって現れる。受験生にとって「サクラ散ル」はその分かれ道に立たされていることを意味するだろう。やがてこれもある種の「定め」と諦めて、「置かれた場所で咲く」ことに喜びを感じようとする者も多いだろう。
 しかし、はやまらないで欲しい。世の中の有形無形の差別の中で「置かれた場所」に自分の存在意義を見いだすことと、それらの差別がどこから来るのか、そしてなぜそれがあたかも宿命のごとく覆い被さり、「劣った自分」を自覚させられねばならないのか?それをとことん考え抜くことと、どちらが大切か?
 桜の花は黙ってなにも語らないが、それを見る人々は桜の花の美しさの中に自分自身を映し出してみているのだ。

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