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2014年5月18日 (日)

法隆寺展を観て

 5月の初め、上野の芸大美術館でやっていた「法隆寺」展を観てきた。あまり目玉になるような作はなかったのだが、金堂壁画の模写に私は、圧倒され驚いた。

 戦後まもなく法隆寺金堂の壁画は火災で焼失した。そして今はその模写が残されているのだが、二つの模写が並べてあった。その一方は焼失後、前田青邨などの有名日本画家たちが文部省の肝いりで描いた模写である。そして別のものは、鈴木空如という聞いたことのない秋田の寒村の仏画師が焼失前に20年もの歳月をかけて描いたものであった。

 私が圧倒されたのは鈴木空如の方であった。その模写はとても一人の絵師が描いたものとは思えなかった。その緻密さの中にあふれる、ものすごい迫力と気力を感じた。何が空如のこのようにすごい気力を支えたのだろうか?私はそれが不思議に思えた。
 ところが、今朝、 NHK TVでこの鈴木空如のことを扱った美術番組をやっていた。彼は秋田の農家の末っ子に産まれ、幼少の頃から絵がうまかった。そして19歳のときに日清戦争に召集され、台湾で戦争の最前線で闘った。多くの凄惨な死に出会い、それ以来、彼の人生観が大きく変わったようだ。そして29歳のとき上京し上野の美術学校に入り、日本画を学んだ。在学中にある画家の法隆寺の壁画模写と出会い、以来、仏画を描き続け、法隆寺に通い続けて金堂の壁画を模写し続ける人生が始まった。金堂のほの暗い空間でろうそくの火を頼りに3回に渡って全壁画の模写を描いた。
 彼は自分の模写に名前や落款を入れなかった。そして貧しい生活の中で結婚して子供をもうけたが、その子は5歳で亡くなってしまった。そして終戦まもなく病に倒れて亡くなってしまったが、法隆寺金堂が焼失したあと、一時期空如の模写が注目されたことがあった。しかし、その後、再び忘れ去られてしまった。
 私は唯物論者たらんとしている人間なので神や仏の存在を信じてはいないが、宗教に表現されている人間の深い精神性に多くの共感をもつ。鈴木空如の写真を見ると、実にいい顔をしている。目がきれいで凛とした感じである。秋田の風土が育てた純粋無垢な人という感じである。こういう人なら自分の生涯を法隆寺壁画の模写に捧げて悔いのない生き方ができるだろうと思った。
 仏画を描くには独特の「鉄線描」という線が必要で、そこには「自分」が現れてはいけないのだそうだ。おそらく金堂の壁画を最初に描いた絵師もそうした「没我」の線を用いてあの壁画を完成させたのだろう。
 鈴木空如という人物の生き方は、これまでの日本の仏画師に多く存在した生き方とも共通するが、私にはそれは近代化が進む明治、大正、昭和の時代が生んだひとつの、そして典型的アンチテーゼとしての人間の生き方のように思える。
 人が商品の論理で生き、「個」を主張しながら相手を打ち負かす。そしてその究極としての戦争で互いに傷つけ殺し合い、勝った者が支配していくという時代にあって、そうでないまったく別の人間観を持ち続けようとした人であろう。近代という大きな、そして一人では到底闘っても勝ち目のない相手にたった一人で無言で対決し、そして無言でその生き様を模写として残していった人、そういう人なのではないだろうか。私はそういう空如に何か言いしれぬ大きな共感をもつのだ。

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