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2014年6月15日 (日)

閑話休題:ズレてるおじさんのつぶやき

 さいきん、「だから日本はズレている」という本がバカ売れなのだそうだ。私はまだ読んでないが、今朝の朝日新聞に精神科医の斉藤環先生が書評を書いていた。

それによると、「おじさん」は「今いる場所を疑わなくなった人」なのだそうだ。そして「おじさん」は年齢や性別に無関係に存在するのだそうだ。なるほど。たしかに「おじさん」してる女子高生なんかいるもんな。
 するてえと、私なんぞは、さしずめ典型的「本来のおじさん」なんだな、きっと。それにしても「今いる場所を疑わなくなった人」てえのはどういう意味なんだ?
 べつに今いる自分の立ち位置を疑うこともなかったし、疑う必要もなかった。だってジタバタしてみても自分以外の自分になんかなれるはずもないのだから。
 問題は「最近のわかいもんは」という口調で、自分が若かったときのことを棚に上げていろいろご意見を言いたがるおじさんが多いということか? 
 でもね、こういうおじさんはきっと心のどこかで、もいちど若くなれたらなあ、なんて思ってるのさ。ある種の若者へのひがみが裏返しの形で出てくるのさ。
 「おじさん」してる女子高生は別として、本物のおじさんは自分が生きてきた日々を「無駄ではなかった」と思いたいだけなのさ。だって自分がなんのために生きてきたのか分からないまま死んじまうのなんかイヤだもんね。わかるだろ?
 いまの「日本がズレてる」と感じるのはその人がズレてないってことさ。そう、君たちわかいもんの言うように、おじさんたちがやってきたことの結果がいまの日本なのさ。そういう意味で、おじさんたちは自分の人生を正当化しようとする一方で、こんなはずじゃなかったが、という思いも感じてるのさ。こりあ、けっこう辛いんよ。
 いまの若いもんには、おじさんたちを踏み越えて行ってほしいんよ。でもね、間違っても変な安っぽい希望なんかを持ってはいけないよ。本当の希望なんてそうやすやす口になんかできるもんじゃない。いまの自分の生活に満足なのはいいが、そのことが他人や外国の人たちを犠牲にしていることにも気づかなきゃだめだよ。
 ズレてズレてズレまくった挙げ句に、「自分の生きている意味って何なんだろう?」と思い当たるとき、そのときこそ、希望ってものが欲しくなるんさ。
 まあ遅かれ早かれここ10年位の間にこの世におさらばしなけりゃならないおじさんがいうことも何かしら君たちの足しにはなるかもね、いやなって欲しいね。

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コメント

 野口さん、今晩は。

 斉藤環精神分析医の云う「今いる場所を疑わなくなった人」という分析結果はその原因を少しも感じさせてはいません。

 布施裕二氏の分析は見事です。
http://sihonronnote.blog.so-net.ne.jp/2014-04-18
布施裕二氏「精神の病と治療」(宮崎県立看護大学研究紀要より)「精神傷害」を考える]で読むことができます。(Y.EGUCHIとさんのブログ「資本論ノート」から)

 布施氏は、精神病を「認識の質的な発展により、社会生活が困難になるが、そのことが本人には意識されないまま行動することで、より一層社会生活が困難になる認識の状態」とする。論理的に言いかえれば、認識(像)の量質転化により、本人の生活過程(認識と行動)が社会(対人関係を含む)との相互浸透・転化(悪化する方向への否定の否定)により悪化して行く過程として把握している。
 例として、「組織から狙われている」という被害妄想や「お前を殺す」と言う幻聴の患者を、次のように把握する。
 「それは、そのような誤った認識に、質的に発展して行ったものであるが、本人にその誤りは意識されない。それゆえ怯えた社会生活を送る。そのような認識への発展の背景には、現実の社会生活が困難な状況が存在する。仕事や学業などがうまくいかない現実である。そのことが本人に意識されるかどうかに関わらず、認識は次第に現実の生活を離れ、頭の中の世界の「現実」に入っていき、そこで「生活」するようになる。「組織から狙われている」現実での「逃げまどう」生活である。
 その様子を不思議に思う、周囲の人間からの制止を理解できず、その制止で余計に怖がって逃げだす。自分が殺されるのを、周囲の人が手伝っていると思うからである。このような認識では、まともに社会生活が困難であるが、本人にはそのことが分からず、治療を勧められても拒絶する。自分の部屋に立てこもって、「防御」の態勢を取ったりする。その結果、ますます社会生活を困難にしていく。」
 この論文では、このような過程を論理的に詳細に解説し、更に精神病とその治療を一般的な観点から解説している。
 注目すべきは、布施氏は、このような生活過程を正面から取り上げることのできる理論的基礎をしっかりと把持していることである。興味のある方は、紀要を直接見ていただきたい。


 この点が指摘できるかできないかが全てではないでしょうか。「今いる場所を疑わなくなった人」とは、現実の問題が分からないか分かったふりをせざるを得ない人のことだと分かります。斉藤環を分析する分析医が必要ですね。

投稿: mizz | 2014年6月15日 (日) 22時22分

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