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2014年9月 4日 (木)

朝日新聞バッシングの背景(その1)

 このところ、慰安婦問題に関する朝日新聞の記事の内容が間違っていたことと、それに対する謝罪が遅れたことなどをきっかけに、各マスコミの朝日バッシングが激しい。

 もちろん正しい事実を伝えることがマスコミの使命であるのだから、朝日が間違いをキチンと正し、謝罪をするべきであることは当然であるし、池上氏の朝日連載記事でこれを怠っていたことへの批判を掲載拒否するなどはもってのほかであるが、こうした朝日を叩く側の酷さはさらに目に余るものがある。
 そのバッシングの内容は各誌様々であるが、おおむね一致しているのは「売国奴」とか「国辱」いう罵りのコトバに象徴される雰囲気である。
 これを「右翼ナショナリズム」と言ってしまうのは簡単だが、むしろこうした雰囲気の記事や見出しが各誌の売れ行きを伸ばしているという事実の方が恐ろしい。「ヘイトスピーチ」の横行や、マスコミ各誌の中国や韓国への悪感情を煽り立てる過激なコトバの氾濫は、それを受け入れる読者の多さを想像すると空恐ろしい。ついにまたこんな世の中になってしまったのかと感じる。
 感情的ナショナリズムの扇動は、その先に何が待っているのか、われわれ戦争を知る老人世代はよく知っている。
 われわれの国はかつて、自ら引き起こした戦争で多くの周辺諸国や自国の人々の命を奪い、その挙げ句敗戦した。この事実は決して忘れるべきではない。そのコンテクストの中で慰安婦問題などを考えなければならない。「どこの国でもやってるでしょう」的な感覚はたとえそれが事実であったとしても戦争で日本軍に蹂躙された国々の人たちの感情を逆なでするのは当然だ。たとえ、元慰安婦の人たちの要求が「あこぎな要求」と感じられても、そのことを踏まえて対応しなければ物事は前に進まないだろう。
 「報道の自由」を看板とするなら、その報道の質と内容がもつ社会的・国際的責任を考えるのがマスコミの使命ではないのか?週間文春、SAPIO、週間新潮などの見出しはそうした思慮が何も感じられない。多分その背後には「売れる記事が必要」というコマーシャリズム的要求とその背後にうごめく支配階級のおそるべき思惑があるのだろう。
戦争への反省をこめた歴史観を「自虐史観」といい、植民地的支配の実態を隠蔽した大東亜共栄論を正当化し、「ニッポンを取り戻す」というが、われわれは決してそんなニッポンを取り戻したいのではない。
 排他的愛国心はどんどんエスカレートすれば、行き着く先は、あの「イスラム国」のように他宗派への残忍極まりない殺戮行為を正当化する意識にさえつながるといえる。
 たしかに「リベラル派」を自認する朝日の態度にはいろいろ疑問を感じることが多いが、少なくとも、言論の自由にかさをきた醜いナショナリズム扇動思想とは一線を画する姿勢だと思う。
 もう一度言おう、われわれの国は自ら引き起こした戦争で自国や周辺諸国の人々から数百万もの人生や生命を奪ったのである。このことを決して忘れるべきではない。このことを棚に上げて「ニッポンを取り戻す」などと決していうべきではない。
(その2へ続く)

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 以前にもブログに書いたが、従軍慰安婦に関する吉田清治氏の証言は、慰安婦問題がクローズアップされてきた1990年代の時点で、すでに虚偽ではないかと指摘していた人たちがいる。  旧日本軍を告発する側の人たちからでさえ、氏の証言を疑問視する見方はあって、日本側の研究者だけでなく、韓国で元慰安婦の女性たちを救援しようとするグループの著書の中にも、吉田氏への懐疑の言葉が90年代...... [続きを読む]

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