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2014年10月 4日 (土)

「家事ハラ」を巡って

 今朝のNHK-TV「深読み」で、「家事ハラ」問題が採り上げられていた。「家事ハラ」とは、男女平等のコンセプトのもとで、夫も家事に携わることが増えてきた昨今、夫の家事のまずさを妻が責めることをいう。

 「深読み」ではこの問題を、これまで家事や育児は女性の仕事とされ、男が家事を行うことになじみが薄かった日本社会の伝統が災いしているということと、実際男性が家計を支えるために長時間労働に耐えねばならず、家事労働が不可能だったという事実が背景にある、と指摘していた。
 いろいろな意見が出ていたが、その中で和光大学の竹信先生の意見が一番まっとうだったと思った。竹信先生は、家事や育児は社会にとって必要な労働であるにも拘わらずこれまで個人的な無償労働で行われてきたことが問題だと指摘している。
 つまり家族が生活して行けるためには家事や育児が必須であるが、これを妻の無償労働として扱ってきたのがこれまでの社会常識だった。しかし、家事や育児は社会にとって必要な労働であって、これを誰かが行わなければ社会全体として人々の生活が成り立たなくなるのだから、これはもっぱら個人の自助努力や奉仕に任されるのではなく、社会全体で考えねばならない問題なのである。それにも拘わらず、日本の政治はこれをまともに社会問題としては採り上げてこなかったのだ。
 このことを一歩深めてみると、さらに次のような問題が浮かび上がってくる。昭和 30年代頃の時代までは、一家の家計を支えるのは働きに出ている夫であって、自宅での家事や育児は女性が支えるのが常識であり、それが可能であった。だから当時は妻や子供3人位それに祖父祖母が居ても何とか夫一人の給料でやっていけた。しかし、高度成長期以来、時代は生活を「豊かにする」という大宣伝のもと、家事労働を軽減させるという名目で家電製品やクルマなどをどんどん普及させ、生活がそうしたモノに依存する形となり大半の家計の出費はそれらに向けられることになった。
 そのため妻がパートなどで働きに出て家計を支えなければやっていけなくなってきた。 妻の家事や育児の時間がその分犠牲となった。しかし夫の方もどんどん残業が増え、長時間労働が日常化し、家事や育児などとても行えない状態になっていった。その結果、家事や育児という必要労働は隅に追いやられ、それを補うかのように外食産業やベビーシッターなどという職業が盛んになっていった。また、教育のビジネス化によっておどろくほど高くつくようになった教育費の問題もあって、低所得家庭での子育ては事実上困難になっていった。
 こうして核家族化が進む中で夫と妻の両方が働かないと家計が維持できなくなっていったのである。そしてその結果、少子化問題が起き、老人介護問題が起き、社会保障の破綻が叫ばれるようになった。
 つまり一見賃金が上がって生活財が増えたから生活が「豊か」になったかのように見えて、実は生活そのものはより貧困化しているのである。バブル崩壊後はますますその傾向が強くなった。
 安倍首相は、「女性の輝く社会」をしきりに宣伝しているが、現実は、こうして女性が家計を支えながら家事や育児をなんとか切り回さなければ家族生活が成り立たなくなってきているのだ。「家事ハラ」問題もこういうコンテクストの中で起きているのだ。
  しかし安倍さんは育児や家事や介護は「家庭での自助努力にまかされるべき」という思想を持っている。「ニッポンを取り戻す」というスローガンには古き良き日本の家族をイメージしているのである。しかしそんなことは不可能である。
 家事・育児・介護という社会にとって必須な労働を個人の自助努力に任せ、社会全体でこの問題に取り組もうとする姿勢も乏しく、「女性の輝く社会」などとうわごとのように叫んでいるのだ。
 アベノミクスの成長戦略でグローバル市場での競争を有利に進め、株価が上がって、大企業や金融企業が潤っても、その足下で庶民の生活が疲弊し、若者は将来に希望を失い、夫婦が懸命に働いて家事も子育てもままならない生活の中で家族が崩壊し、老人たちは孤独死し、社会は土台から崩れようとしている。それでも「女性の輝く社会」を信じろというのか?それでも選挙で自民が圧勝するのか?

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