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2014年10月 1日 (水)

民衆のプロテスト運動を巡って

いま、香港では国慶節のさなか、街の中心部では大規模な民衆のデモが行われている。中国政府から送り込まれた官僚たちが、「自由選挙」の原則を反古にして政府が許容した候補しか認めないというご託宣を下したからだ。

 いま、この非暴力デモは大変盛り上がっており、市民がどんどん参加しつつある。しかし、おそらく当局はこれをしばらくは静観し、やがてデモがだんだん疲れてきたところを狙って一気に制圧するつもりであろう。権力のいつものやり方である。
 思えば、数年前、アラブの春といわれる民衆のデモが中東のあちこちで盛り上がった。一部のマスコミお抱えの論者はこれを「インターネット時代の祝祭型デモ」と評した。確かにこうした民衆のプロテスト運動ではネットが重要な役割を果たしている。
 しかし、それからまだ数年しか経っていないのに、エジプトでもリビアでもそしてシリアでもそれらの民衆プロテスト運動が悲惨な結果を生んでしまった。
 民衆は勝利した後の一瞬、喜びに沸いたが、その後の政治情勢はまことに過酷であった。エジプトでは軍部のクーデターでデモの成果は押しつぶされ、リビアではほとんど無政府状態となってそこにイスラム過激派がなだれ込んだ。シリアでは反政府運動を巡ってアメリカとロシアの駆け引きが続き、その間に反政府運動にイスラム過激派がなだれ込み、三つどもえの殺し合いになっている。その結果「イスラム国」というテロ殺人を見せしめにして自分たちに従わせようとするおそろしい「国」が出来てきてしまった。
 この情勢は、アメリカがイラクやアフガンでなめた苦い経験から軍事力の行使をためらっていることと、それにつけこんでロシアなどが影響力を強めようとする「新東西対立」が背景にあることは事実であるが、それより重要なことは、こうした混乱のきっかけとなった民衆のプロテスト運動の在り方にも原因があるように思う。
 要は「祝祭型」などと呑気なことを言っている間は、こうした悲惨な結果がある意味必然となるのである。民衆のプロテストは、一定の目標を持ち、それを計画的・継続的に実行していくという方針を持った「民主的指導部」がないとダメなのである。雰囲気だけで盛り上がった人たちはやがて情勢の局面の変化について行けなくなり、ポシャるのだ。しかしそれはまた、一歩誤れば独善的な指導部になりやすい。そのことはかつて日本の学生運動でも経験している人が多いだろう。民衆のプロテスト運動が社会変革の力になり得るためには、運動の民主的指導部をどうつくっていくのかが、最重要な課題であろう。
香港での民衆デモが再び「アラブの悲劇」を生まないように祈っている。

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