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2014年12月11日 (木)

アベノミクスのマルクス経済学的分析(その4:ケインズ「有効需要の原理」)

 ケインズは、資本主義社会が一方で台頭してきた社会主義圏に押され、他方で不況でものが売れず、失業者が恒常的に増加するという資本主義経済体制そのものの危機的状況があったとき、当時の「新古典派」経済学者(ピグー、クレー、キャナンなど)の通説にまっこうから異論を唱えた。例えば新古典派の論では、ものをつくるために必要な費用は、ものの生産量が増えるとともに増加し、ある時点でそれ以上ものをつくっても採算がとれなくなる(限界費用)、という考え方をしていた。実はこれは投資した資本に見合うだけの利潤を生まなくなる過剰資本の発生のことなのであるが、もともと資本とは何であるかを認識していない彼らにとってはこのような表面的な把握しかできなかったといえるだろう。 そのため、失業者が増えるのは、生産費の大きな部分を占める労働賃金が高すぎるからであって、賃金を安くすれば、企業はもっとものをつくり、市場は活気をとりもどすだろうと考えていた。マルクス経済学的に見れば労働賃金である可変資本部分を減らして資本の過剰を防ごうという実に馬鹿げた主張なのである。

 しかし、ケインズは、有名な「雇用、利子、貨幣の一般理論」の中で、そうではなく、ものが売れなくなるのは、需要がないからだ、と考えた。ものが売れるなら企業はもっと生産を続けるだろう。需要こそが、資本主義経済のアクセルであると言った。これが「有効需要の原理」である。つまり過剰資本の処理にはむしろ可変資本部分を増やし、労働者の生活資料商品への購買力を高めることで、需要を増やし、資本全体そしての利潤を維持することを考えるべきだということだ。もともと労働者の生活資料は、資本の再生産に直接結びつかない「純粋消費」と考えられ、過剰資本の蓄積には直接はつながらないからである。もちろんケインズにはそのような視点はまったくなかった。

 マルクスが諸個人の在り方と共同体社会の関係の発生と成り立ち、つまり「存在の論理は発生の論理である」という視点から労働と「価値」というものを捉えようとしているのに対して、ケインズは価値の一つの表れである貨幣は流通の便宜上存在するものでありそれを私有するのは自由である、という視点から経済の成り立ちをお金とものの流れによって把握しようとしているのである。彼には「雇用の確保」という視点はあっても、ものや価値を産み出す側、つまり労働者の視点はまったくない。

そしてこのケインズの「有効需要の原理」こそ、20世紀後半の資本主義社会(アベノミクスもこれに含まれる)を特徴づける「消費駆動型」資本主義経済体制の基本にある「原理」なのだ。

  ケインズの主張が当時危機的だった資本主義経済体制にとって「救世主」だったのは、単にその理論だけではなく、当時の社会情勢が大きく影響している。それは一方で社会主義圏の進出による資本主義圏での労働運動の高まりであり、このまま失業者を放置して「労働予備軍」として溜めておくわけには行かなくなっていたのである。景気回復には商品の生産を推進しなければならず、そのためには社会的生産の本来の目的である生活資料への需要を増やさねばならず、そのためにはその大部分の購入者である労働者達の雇用と賃金を確保しなければならないからである。労働者の雇用と安定した賃金の実現が、資本主義圏を社会主義圏の進出から護るもっとも有効な手立てだということに資本家代表政府の要人達が気付いたからである。

 このケインズの考え方を基礎に、従来の新古典派的、例えばワルラスの「一般均衡理論」に見られるような資本家達による「レッセフェール」(市場の成り行きに任せておけば需要と供給はいずれうまくバランスする)という考え方ではなく、総資本を代表する国家が経済政策によりマネーコントロールや需要創出において主導的な役割を果たすことで、社会的な労働需要を産み出し、そこに労働者を雇用し、安定した賃金によって生活資料を購入できる体制が目指されるようになったのである(しかしこの考え方は後になって当然のことながら破綻を来すのだがこれについては後述する)。

 こうして当時イギリスに代わって世界資本主義センターとなったアメリカを中心に、道路網建設や大規模ダムなどのインフラ建設への大規模公共投資を行い、その後第2次大戦が勃発する中で、莫大な国家予算をつぎ込んだ軍需産業の中に労働者達を吸収することで失業を減少させ、戦後は、これをテコにして生活資料の需要を促すことで耐久消費財を中心とした生活資料産業を振興させ、いわゆる大量生産・大量消費時代を創出させ、20世紀後半の東西冷戦時代を通じた半世紀の間、アメリカを中心とした「ケインズ型資本主義社会」が浸透し、敗戦国日本やドイツもその流れに吸収されていくことになったのである。

 しかし、1970年代になって、一方で社会主義経済圏がますます党官僚独裁による硬直化した国家経済体制で行き詰まり、他方で「イギリス病」などといわれる形で国家予算の公共福祉部門への負担が増大し、企業利益が上がりにくくなり、国家主導のケインズ型資本主義の欠陥が露呈しはじめた。また新興ドイツや日本の輸出商品の進出による国際商品市場でのアメリカの後退とそれによる不況などで、ケインズ型資本主義の「見直し」風潮が台頭してきた。 ハイエク、フリードマンなどのいわゆる自由市場主義者達の登場である。またしても! である。

 その後レーガン、サッチャーなどによって行われた国家主導を弱め、市場の成り行きに任せようとする「小さな政府」政策や労働市場を中心とした市場での規制緩和などの一定の成功によって「ケインズは死んだ」とまで言われたのであるが、実はその「新・新自由主義」経済学者達の主張もあたかもレッセフェールの「新古典派」的考え方に戻ったかに見えるが、基本的にはケインズの「有効需要の原理」を下敷きにしているのである。

(次回に続く)

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