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2014年12月 9日 (火)

アベノミクスのマルクス経済学的分析(その2:剰余価値と消費税)

 さて、このように書くと、「労働者がつねに無償で剰余価値を資本家に取得されているなどというのは馬鹿げた妄想で、そんな言いがかりは何の根拠もない」という反論が必ず返ってくる。そこで剰余価値とは何かについてもう一度考えてみよう。

  マルクスは「剰余価値学説史」という膨大な歴史研究成果を著書にしている(筆者はまだ読んでいない)が、そこからマルクスが明らかにしたのは次のようなことである。
 人類の歴史上、あらゆる共同社会が、その構成員をぎりぎり生かせるに足るモノしか作ってこなかったということはありえない。なぜならその共同体はつねに共同体共通の必要物(たとえば原始共同体での外敵からムラを護る柵、飢饉のときのための食料の備えなど)を要求するからである。共同体の構成員は、一人一人その持ち場で、仕事を行いながら、自分の生活の糧を産み出すと同時に、共同体共通の必要物をも産み出してきた。この共通の必要物は正確に言えば「剰余生産物」である。そしてこの剰余生産物を誰が支配所有するかによってその社会の関係(生産関係あるいは階級関係)が基礎づけられる。そして共同体全体の社会的生産力が高まれば高まるほど剰余生産物の量も増える。
 資本主義社会では、先に書いたように、社会に必要とする生産(この中には社会構成員各自の生活資料ももちろん含まれる)を行う労働者は生産手段を持たない(実は奪われた)人々であり、社会的生産に必要な生産手段は資本家の私的所有を前提としている。だから労働者は自分のもつ労働力を生産手段の所有者に提供することでしか社会的生産が行えない。つまり社会全体で共通に必要とされるものが、労働者の産み出す剰余価値を資本家が無償で私的に取得し所有するという形を前提とした「自由な市場競争社会」によって賄われているのである。
  資本家は「自由に」労働力商品を買い取り、そこから無償で剰余価値を取得し、それをもとに資本家同士の「自由な競争(市場競争)」によって私有財産を殖やす。これが本来の「所得」である。労働者は生産手段からつねに「自由(Free fromつまり持たない)」なので、自らの人間としての能力を労働力商品として資本家に売りに出さねば生きて行けない。こういう生産関係によって成り立つ社会が資本主義社会なのである。
  この資本主義社会が作られてきた「血塗られた」歴史過程は、資本論の「本源的蓄積過程」という章を読めばよく分かる。現代の資本主義社会は、時代特有のさまざまな社会的分業形態とその複雑な絡み合いで出来上がっているが、その本質は少しも変わっていない。
 資本主義社会においては資本家と労働者を「対等な商品所有者」としてつまり資本家社会的「個人」としてみなすので、社会共通に必要とされるものは、労働者達と資本家達への課税によって賄われる。
  しかしよーく考えて欲しい。資本家達は労働者の労働から無償で剰余価値を取得して財を築いて行くのに、対し、労働者はその分犠牲(剰余価値量が増えるほどこの犠牲は大きくなる)をはらって自分の生活の糧を得ているのである。それを資本家と対等な「個人」として課税するのが「個人の自由と平等」を旗印にする資本主義社会の特徴である。 こういう事実において「消費税」の実情を見れば、本来資本家が労働者から全面的に無償で取得している剰余価値部分からこそ社会的に必要なモノや経費を出費すべきであることは一目瞭然であろう。「消費者」という名目で労働者階級から一律に税を取ることは、労働者の生活に必要な経費を削って、それによって、つねに労働者から剰余価値をタダ取りしている資本家支配社会の基盤をまもれということなのだ。
 しかし、いまの資本家代表政府は「消費税を上げなければ社会保障の予算が組めなくなる」「年金の将来がない」などと労働者達をおどす。そして「リベラル派」を自認する野党もその同じ枠に嵌まって「時期尚早」などとほざいているのだ。
 このような事実を理解できれば、「自由市場」が誰のための「自由」なのか、「経済の成長拡大」や「景気回復」がだれのためのものなのか、そのまやかしの表現に気付くだろう。
 社会的生産性が高まれば高まるほど社会全体に共通な財は増え、労働者の生活は楽になるはずなのである。ところが、生産性向上は資本家にとって、市場での競争に勝つための商品価格の低廉化をめざすために必須な「合理化」としての剰余価値率の増大(相対的剰余価値)のためでしかなく、「人件費削減」の名の下で労働者はそれによって逆に職場を奪われ、生きて行くために必要な生活資料からさえも「自由」にさせられてしまうのだ。
 そして生産性が高まるほど資本家はその分、大量に産み出される商品を売りさばかねば利潤を上げられなくなる(利潤率低落)ので、ますます市場の競争は激しくなる。
 こうして資本家達は、海外に商品市場をどんどん拡大し、生産拠点を労働力の安い国々に移し、新たな儲けが見込まれる株に投資し、「成長」が見込まれる企業を買収していくのである。
 そしてそれを「自由貿易」の名の下に支援するのが資本家代表政府であり、「規制緩和」と称しながら、非正規雇用やアルバイトの率をどんどん増加させ、資本家が必要なときはいつでも解雇できるしくみを作り、資本家がもつ有り余る富を投資する先によって必要となる労働力をいつでも確保できる「流動的な労働市場」をうみだすことに努めている。それによって「ブラック企業」でなくとも、資本家がますます労働者を「使い捨て化」しやすい世の中になっていく。これでも自民・公明政権を支持するとすればそれはまさに労働者階級にとって自殺行為ではないか。
(以下次回に続く)

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