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2014年3月2日 - 2014年3月8日

2014年3月 2日 (日)

「日本人の誇り」とは何なのか?

今朝の朝日新聞にも掲載されていたが、政府は、いまの歴史の教科書などでの戦時中の日本に関する記述に表れている「自虐史観」をあらためて「誇りを持てる」歴史観を養うべく教科書の改訂を進めるらしい。

 街の本屋を歩いても、最近は、日本人が誇りを持って中国や韓国の歴史認識問題の提起に毅然と対応すべき、という論調の本が非常に多い。そしてそれと同時に中国に、中国や韓国を責める内容の本が非常に多い。また韓国や中国の支配者たちによる日本への強硬な態度もエスカレートしている。これらを見るにつけ、日本を含め各国が互いにナショナリズムを煽りながらその外交姿勢を硬化させて行っていることが感じられる。どこの国民でも自分の国が優れており、誇りを持つべきだというキャンペーンには巻き込まれやすいし、それがその国のナショナリズムを培養し、それを煽る政府の指導者が国民から支持される、という図式が見えてくる。非常に危険な状態である。
 しかし、歴史はそのようなナショナリズムによって勝手に書き換えられるべきでものはなく、あくまで事実・真実を記録すべきでものである。
 第二次大戦とその前後における日本の軍事政権が行ったことは、われわれ自身、冷静に事実を見つめるべきである。あの戦争でもっとも大きな被害を受けたのは他ならぬ日本国民自身である。「皇国史観」や「日本精神」を注ぎ込まれ、さんざんナショナリズムを煽られて、「正義の皇軍」という御旗のもとで戦場に引っ張り出され、「敵をやっつける」ためにと、自分としては直接には何の恨みも憎しみのない相手国の農民や労働者・市民を殺戮させられ、自らも命を落とし、国内での非戦闘員の爆撃による被害者を含めて数百万もの日本人が命を落としていったのである。そしてその過程で多くの周辺諸国の人々を侮辱し殺戮してきたのである。
 現政権が当時の政権の後継を自認するならば、まず日本国民に謝罪しなければならないはずだ。それなしに戦犯と一緒に祀られた「祖国のために命を捧げた英霊」に「尊崇の念」を表明することは、自分たちが統治者として「日本国民」に対して行った計り知れない罪を隠蔽することになるし、むしろ戦争で死んだ数百万の人々やその家族への大変な侮辱となる。中国や韓国の人々が被った悲劇は、われわれ日本人と同様に当時の日本国政府の罪状なのだ。その意味で現政権は真摯な謝罪をすべきだろう。
 最近とみに居丈高になった中国政府や韓国政府の態度は、その背景に、自分たちの国のナショナリズムを煽ることで国内での矛盾を覆い隠そうとしていることが見え見えであるが、歴史の事実はそれによって書き換えられてはならないし、ましてそれを逆手にとって「自虐史観への見直し」などとして正当化してはならないのだ。
 戦争のもたらした悲劇は、一人一人の日本人の心の中で痛切に反省され、その反省が戦後「平和日本」の発展を支えてきたのではなかったのか?現憲法も歴史教科書の内容もそうした痛切な反省から生まれたのではなかったのか?
 それが、日本の統治者たちに「自虐」と見えだしたのは、近年になって、「世界第2の経済大国」と思っていた日本が、さまざまな矛盾が表れるべくして表れ出し、斜陽化する中で、「誇り」を失いつつあるという認識を持つようになったからではないのか?
 歴史の事実を勝手に都合良く解釈し、「にっぽん人の誇り」を強調するのは、誤りであって、あの戦争での大きな犠牲のもとに、それをいかに反省して、軍隊を持たない国をつくり、勤勉な努力によって自分たちの生活を築き上げてきたかということこそが本当に世界に対して誇りにしてよいものなのではないか?日本は「フツーの国」になることが誇りなのではなく、戦争への反省から、フツーの国が成しえなかったことをやろうとしてきたことこそ誇りとすべきなのではないか?戦後に生きたわれわれが戦争への反省を込めて、長いこと努力して積み上げてきた中国や韓国の人々への分け隔てない親交が、これほどもろく崩れて行ってよいのだろうか?あの努力は一体何のため誰のためだったのか??
 
 

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