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2014年8月10日 - 2014年8月16日

2014年8月13日 (水)

「民主国家」の徴兵制について考える

 終戦記念日と盆休暇が同時にやってくる8月の今頃は、いつも戦争についての意見や討論があちこちで行われる。その中で、今朝の朝日新聞「文化」欄に掲載された「徴兵制にみた平等の幻想」は興味深かった。

 第1次大戦前まで徴兵制を採らなかったイギリスで、大戦が始まり、これまでに経験していない総力戦という事態に遭遇し、軍事的必要性と同時に負担の平等性という観点から徴兵制の制定が議会で可決されたというのである。「愛国心のある志願兵に負担が偏るのは平等でないという論理を民衆は支持した。(小関隆氏)」という。
 この流れを当時の日本政府も取り込み、「徴集されて一兵士になれば、学歴も貧富も家柄も関係なく、軍隊内での階級で扱いが決まる」という「公平感」に格差社会に生きる人々も賛意を表したのだ。
 このコラムは、あるコミックを例に挙げ、現代のハイテク戦争では兵士にも高度な技術が要求されるのでそれに対応する高度な訓練を受けた職業的軍人でなければ戦えない、として徴兵制が廃止される方向にあるようにも見えるが、合理化が進む企業での余剰人員に困り、財界がその受け皿として徴兵制をバックアップする、という筋書きを紹介している。
 つまり、企業の合理化によって失業したり「余剰労働力」となった人々が増加するにつれて、そこに生まれる格差社会での不満を解消し、生活保護などの社会保障費の増大に対処する意味でも「愛国心」を旗印に「公平な」徴兵制による軍隊で国を護る、という方向に国家が世論を誘導していくこともあり得るということだ。金持ちも貧乏人もともに一兵卒として国のために平等に命を捨てるというわけだ。民主主義(?)が生む「公平感」のおそるべき落とし穴である。
 先日 NHKで、いまの自衛隊の内部での自衛隊幹部候補生たちの生活や考え方をインタビューによって取材した番組を放映していた。若い自衛官たちは女性も含めて、国民の生活や財産を護るために危険を顧みず自分の能力を生かしたいと述べていた。幹部自衛官を目指す彼らの当然の応えであるように見えた。しかしここでの取材では集団自衛権容認問題についての意見を求めることが御法度になっていた。また、もし国内で、政府のやり方に反対する勢力が台頭してきたときにはどう対処するのか?自国民の一部を敵に回すことになるのか、という深刻な問題もあるのだが、ここではそうした問題には一切触れられなかった。
 さて、こうしてみると、首相を始め、政府高官たちは、いまは「徴兵制などあり得ない」と言っているにも拘わらず、一旦戦争が勃発しそうな危機的な状況になれば、世論を徴兵制容認に向けて総動員するだろうし、一般市民もそれに抵抗できなくなるだろう。自衛隊が外国の軍隊と戦う時代になれば、やがてはそれを「合理化」するために憲法の改定が急務となり、そこには徴兵制を暗黙のうちに容認する条文が盛り込まれることにもなるだろう。
 先の戦争では、「お国のために」徴兵制で父や兄を戦線に送られ、家では母や子供たちが「銃後の護り」に努めた。やがて前線では兵士は次々に戦死し、国内では空襲などによって数百万という、兵士の家族も含む一般人たちが死んでいった。
 しかしその後に残され存続した「国」とは一体何であり、誰のものだったのか? 少なくともこうして戦争によって死んでいった人々のためのものではなかったことは確かだろう。

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