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2014年10月5日 - 2014年10月11日

2014年10月 8日 (水)

若者たちのゲーム戦争的ニヒリズムは何を意味するのか?

日本人のノーベル賞受賞ニュースでマスコミが沸く直前に、「イスラム国」の兵士になった日本人の若者がTV-Newsに登場していた。彼は、ちょっとしたきっけで、シリアで実戦に加わることができることを知り、日本を離れたのだそうだ。イスラム教への帰依や大義でもなく、要するに実際に戦争がしてみたかったようだ。彼は、いまの市場経済至上主義や先の希望が見えない社会に嫌気がさし、何か夢中になって命をかけられるものを求めていたらしい。

 しかし、私が一番気になったことは、かれが顔を隠すこともせず、ケロリとした表情で、それを淡々とまるで面白い経験をしてきたことを自慢するように話していたことだ。この精神状態をどう捉えていいのか、私は正直戸惑った。戦争をまるでゲーム感覚で捉え、実際に戦闘ができるという緊張感だけを求めてイスラム国兵士になったようだ。かつての日本赤軍の「兵士」のような悲壮感がまったく感じられない。
 実戦に加わるということは自分も命の危険に身をさらすと同時に人を平気で殺せなければならない。場合によっては非戦闘員の大量殺戮も平気でできなければならない。このことを承知で参加しているのだろう。つまり人の命などというものはあまり価値がなく、生きていることはあまり意味のないことであるという感覚があるからこそこうした行為に出られるのだろう。おどろくべきニヒリズムである。
 かつて19世紀末〜20世紀初頭の帝政ロシアでもニヒリズムがインテリたちの思想を覆い、「ロシアン・ルーレット」などというゲーム感覚の決闘で命のやりとりをした時代があったようだ。そしてそれはやがて下層階級の革命運動に火をつけた。その背景には当時のロシア社会の腐敗への深い絶望感があった。
 いまのグローバル資本の「帝国」への深い絶望感を潜在化させ、一見明るく振る舞うケロリとした若者たちの心の奥の闇を見る思いである。こうした若者たちが、「祖国のために」という目的意識を上から与えられ、国民皆兵制が当然のように受け止められ、それが近隣諸国への「憎しみ」に向けられるとき、何が起こるかを考えると慄然とする。
 それは日本ばかりではない。世界全体がそうした雰囲気に動きつつあるようにも見える。その背後でグローバル資本の一翼に加担するため武器貿易が公然と行われるようになり、戦闘の物質的条件が着々と整い、ヘイトスピーチは愛国心の表現とされ、それに対抗する思想は公然と暴力で抑え込まれるような社会が目前に来ているように感じるのは私だけであろうか?

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