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2015年1月11日 (日)

モノづくりの創造性を生活者の手に取り戻そう!(その5 エピローグ)

(その4から続く)

 こうして、われわれの生活は「高度消費社会」となり、モノづくりの能力は生活者の手から奪われて行った。そしてその結果、生活者は「消費者」として生きるしか道がなくなったのだ。資本主義社会の成熟過程は、まさに生活者からモノづくりの能力を奪い、それを資本のもとに糾合し、資本が生み出す商品を購買することなしには生活者が生きてゆけない社会を生み出す過程であったと言えるだろう。

 生活者はこうして生活に必要なモノすべてを商品として買わねば生きてゆけなくなり、そのために必要なお金を資本家の経営する企業で働き、賃金として得なければならなくなったのだ。資本はその労働力を商品の生産や「サービス」の実践に必要な労働力として用い、そこから莫大な利益を上げている。だからすべての生活に関わるモノや場は商品化され、生活者の人生はその誕生から成長、成熟、老化、死に至るすべてのライフステージで資本家たちの「ビジネスチャンス」の対象とされてしまった。

 そればかりではない。そのような「高度消費社会」はどんどんモノを買わせ、できるだけ早くそれを捨てさせ、商品販売の回転を上げ、世界中でそのために莫大な資源がつぎ込まれ、その生産に必要なエネルギーが消費され、地球はもはや到底持続可能な状態とは言えなくなっている。それなのに、資本家たちの代表である政府の人々は、「経済成長こそがすべて」と叫び、「国際競争に勝てる創造的人材の育成」などを声高に叫んでいる。

 資本主義社会がグローバル化し、いまや世界中で働く人々は、ほとんどすべてそのために労働力を提供しなかれば生きてゆけなくなっている。そして次々とモノを買わされ、モノたちのあふれる社会の中で、自分が何者であるのかが分からなくなり、モノを買うことだけが生きる喜びのようになってしまっている。モノを買うことができなくなった人々は、そこからドロップアウトし、とても人間の生活とは思えないような過酷な生活に生きねばならなくなっている。かつて、われわれの先祖は、自らの手で自らの生活を築き、それに誇りを持ちながら生きて行けたのに、いまの「豊かな」資本主義社会は、資本が生み出すモノに幻想を乗せ、あたかもそれを買うことが幸せなのだと思わせるような生活を築き上げてしまったのだ。

 そこでは「デザイナー」たちが資本家経営者のブレーンとしての地位を与えられ、そのいつわりの幻想を生み出すことに専念している。そこではつねに「創造性」が強調され、デザイン思考やデザイン創造性がホットな話題となる。

 しかし、それはかつて生活者が持っていた生活における経験と必要があたかも自然に生み出させたような本来の創造性とはまったくことなる恣意的で欺瞞的な創造性である。

 そう、だからここでもう一度しつこくも言おう、モノづくりの創造性を生活者の手に取り戻そう!と。

 私は、このような「思い」を長年温めてきた、そしてその思いと考え方をいまやっと一冊の本にまとめることができた。

それが「モノづくりの創造性---持続可能なコンパクト社会の実現に向けて」(海文堂)という本である。

 私の「思い」がどれだけ普遍性のあるものなのか、どれだけ多くの人の共感を得ることができるものなのかは分からない。しかし、それはきっとモノづくりやデザインに関心のある人々にとって一読の価値はあるものと信じている。

以上

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