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2015年1月 3日 (土)

戦後70年目の年が始まった

 2015年は敗戦の1945年から70年目の年となる。私は当時まだ5歳の子供であったが、当時の情景の一部は記憶している。当時戦禍を逃れて東京から新潟の片田舎の寺に疎開していた私の家族(父は医者だったので東京に残っていた)が終戦の翌月に帰郷することになり、臨時列車を見つけて殺人的な混雑の客車で何とか夜中に東京まで帰り着いた。杉並にあった我が家は空襲で跡形もなく焼け、街は焼け野が原になっていた。灯り一つない真っ暗な道をこわごわ歩きながら母は急ぎ足で子供たちの手を引いた。私の人生はその暗闇から始まったといえる。

 食べるものはなく、配給の「沖縄百号」というサツマイモだけだった。「好き嫌い」などという贅沢はありえなかった。その後「すけそうだら」の配給もあり、なんとか生きのびることができたが、間借り生活で疎開先からあとから送ってもらったタンスの他は家財道具などほとんどない状態だった。幸いにして私の家族は死者がでなかったが、近所の友達の父や兄は戦死したり抑留されたりして母親が生活の中心になっている家が多かった。
 そんな生活から徐々に食料品が出回るようになり、学校に入学したときには破れたガラスに紙をはった窓の教室で「ララ物資」で配給された粉ミルクの給食が出た。いまからみるとあれがほんとに「粉ミルク」だったのか?と思われるようなひどいもので、水に白い砂を溶いたようなミルクだった。家に帰って食べるご飯には古米につく「コクゾウムシ」などがたくさん入っており、それをより分けながら食事をした。味噌汁には野菜ではなく「海藻麺」が入っていた。
 しかし焼け跡の街には焼けトタンで作ったバラックが建ち並び、通りには露天が出て賑わうようになった。ふかし芋など「一山10円」が売り文句であった。
 やがて新聞でもラジオ放送でも「新憲法発布」が大々的なニュースとなり、学校でもお祝いの行事があった。親たちは「これでやっと戦争のない新しい日本が生まれる」と本当に嬉しそうだったのを覚えている。誰一人として「米国からの押しつけ憲法だ」などと不平を言う者はいなかったのである。世の中は貧乏だったが明るかった。そしてみんなが、「平和国家」を夢見て毎日苦しい労働に耐えて行ったのだ。
 その後、皮肉にも隣国朝鮮で始まった戦争で米軍に供給する軍事物資の「特需」により日本の資本家達は息を吹き返し、彼らに雇用された労働者たちの血のにじむような努力の結果、日本の社会は「経済成長」を遂げ、生活物資は豊かになっていった。
 その後数十年で、経済界では「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が叫ばれ、「世界第2の経済大国」になったと宣伝され、人々はそれに踊らされてあの戦後の苦しい時代を忘れ去ってしまったようだった。
 しかし、来たるべくしてやってきたバブル崩壊の後、いま社会の「格差」は増大し、これまでこの国が辿ってきた道が何であったのか、そして人々が「お上」から扇動され続けてきた「目的地」がいったいどこなのか、私たちが何のために一生懸命働いてきたのかが分からなくなってしまったようだ。
今考えればこれは当然の結果といえるのかもしれない。それなのに、現政権は、「ニッポンをとりもどす」と言って「自信を失いかけた若者に自信を取り戻させることが必要だ!」と叫び、なぜこうなってしまったのかという反省などどこかにすっとばし、過去の事実をただ自分たちに都合のよい方向からだけ見せようとしているようだ。まったく愚かなことだ!
 私たちは70年前あんな重大な失敗をしてしまったのに、その失敗を教訓化することもなしに「ニッポンをとりもどす」などというほど愚かなことはない。これでは再び同じ失敗が待っているだろう。そしてふたたび私たちは政府の間違った扇動によってますます悪い方向に向かわせられようとしている。
 戦後70年に渡って私たちの世代が人生を掛けて築いてきたものを一体誰が持ち去って行ってしまったのか?
それはあの戦争を何一つ反省していない連中なのではないのか?
本当の私たちの誇りとは、あの戦争を繰りかえさせないためにどれだけの反省と努力が積み重ねられてきたか、ということにあるのではないのか?

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