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2015年2月18日 (水)

「資本」について考える(その2:資本主義的分業の構造)

つぎに、資本主義社会における労働者の現在について考えてみよう。

 前にも書いたように、現代資本主義社会の労働者は、マルクス当時のそれとまったく外観も異なり、生活ぶりも異なっている。それはマルクスの時代以後、資本の蓄積と共に日々資本を生み出し、増大させ、うまく回転させるための社会的仕組みが進み、さまざまなタイプの分業種が生み出されていったことによる。
 まず直接的な生産過程自体が分業化され、そこに雇用される生産労働者はエンジニアなどの頭脳労働者と現場でモノをつくる製造労働者に分かれ、さらにつくりだされたモノを商品として販売し、流通させるための販売流通部門がつくられ、資本家の「お金」の動きを管理する財務部門が整備され、労働者の雇用や地位賃金などを管理する労務管理部門も拡大し、資本家に資本を融通し、遊休資本を有効利用することを助ける金融企業が拡大されていったことなどにより、それぞれに雇用される分業種としての労働者が生み出されたのである。
これらはある場合は巨大化するひとつの企業組織として、ある場合は分離した別の企業として、それぞれの資本家が管理運営することになった。
 こうした資本家的企業に雇用される労働者も、ブルーカラー、ホワイトカラーなどという種別で捉えられ、さらには資本家の意志決定に直接寄与する部門の労働者は「高給労働者」として扱われ、現場の労働者に対してそれを管理する立場に置かれるようになる。つまり労働者が労働者を管理するのである。
 その一方で、資本家自体も変遷し、個人の「人格化された資本」から、企業の経営資金を提供するグループや金融機関が経営権を握り、いわゆる経営陣、つまり「組織としての人格化された資本」を形成するようになっていった。そしてその中で経営の意志決定を行う執行部門と実務に直接関わらないが資金を提供することで間接的な発言力を持つ部門が分かれ、執行部門の代表者が「社長」と呼ばれることになっていった。
 こうして労働者側も資本家側も分業化が進むと、外見上はだれが資本家でだれが労働者なのか判然としなくなっていく。そこにその表層的外見からだけ捉えた新しい階層表現として「富裕層」「中間層」「貧困層」という言い方が生まれてくるのである。
 民主党が主張する「分厚い中間層」は、戦後日本の資本主義社会が、かつての財閥が解体され、ゼロ・リセットを掛けられたことから出発したことによる、その資本の成長過程の一時期で生じた新興資本家の急成長と、それにともなう労働力不足、そして海外の労働賃金水準よりはるかに低い労働賃金による輸出競争力、そして外貨の固定相場制、アメリカ型の消費駆動型産業構造の導入などが要因となり、労働者階級の生活が一見「豊かになった」と思わせる時期があったことをイメージしているのであろう。
  しかし、この「分厚い中間層」を形成した人々は、戦争から生き残って帰還した兵士やその子供達、地方の農村から生活苦で都会に働きに出た若者達などで構成されており、中には自ら起業し、資本家となった人々や大企業の経営陣に加わった人もいたであろうが、大部分は、それらに雇用されて働く労働者階級であったといえるだろう。そして彼らが「高度成長」の基礎となった価値の生産を行い、そこから受け取った賃金の大半を、「クルマ」「家具」「家電設備機器」「家」「土地」などを含む高額の生活資料商品のために(多くの場合、金融資本に利益をもたらすローンという形で)どんどん支払わされ、結局その貨幣を資本家達に再び環流させられ、資本家たちの新たな投資や利益増大を助けることを行ってきたのである。それがいわゆる「経済成長」の原動力となった。そしてさらにその賃金から取られる税金や年金基金によって労働者としての「商品価値」がなくなっても生きていくための資金を「年金」などとして積み立ててきたのである。
  これは要するに、生活資料そのものが高くつく社会に生きることによって一見高額な賃金も実はほとんど生活資金として消えていくものに過ぎなかったということである。そこに残るのは消費欲を駆り立てられて次々と買い換えさせられたモノたちの残骸と空虚化した精神の穴を埋め合わせるためのエンタテーメントやゲームだったりするのだ。しかもそうした社会的「浪費」の挙げ句に地球環境の汚染やエネルギー不足などという地球規模の問題を生み出しているのだ。これがいわゆる消費駆動型資本主義社会の実像である。
 そして知っての通り、いまやこうした「分厚い中間層」の幻覚はそれ自体「ゆめのまたゆめ」となってしまい、現実は、安倍政権が「この道しかない」と叫んで資本家専制的経済政策を打ち出す中で、多くの労働者階級が自分たちの子供や孫の世代への希望をつなぐことをあきらめねばならない状況に陥っているのである。
(その3へ続く)

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