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2015年3月 8日 (日)

「資本」について考える(その6:現代資本家たちの実像)

 すでに述べたように、いまの資本主義社会では、一体誰が資本家で、誰が労働者なのか判然としにくくなっている。さらに既成の大資本家企業に対抗して、いわゆる「起業」という形で登場する新興資本家たちは、いまの社会で「前向き」で明るく能力のある若者が多くいわゆる「資本家」のイメージとは異なっている。それらの若手起業家は現代の若者にとって目指すべきひとつのモデルとなっており、彼らの成功例は「ゆめ」の実現あるいは新しい「ビジネスモデル」として賞賛される。

 しかし、こうした新興起業家たちは、まず起業に必要な資金を集めなければならない。そしてそれは、新たに起こす企業がいかに利益をもたらすかをPRすることで、投資家からお金を引き出さねばならない。投資する側は、すでに潤沢な資本を持っている企業や個人の資産家(自ら働くことなく利益を得るという意味で本来の資本家) であって、そうした人々を「株主」として資金を集めることで、新興企業は初めて立ち上げることができる。だから利益の見返りを目論む株主の権限は強く、新興企業はそれに従わねばならなくなり「起業家」は「機能資本家」となる。そして次には、その企業が利益をあげるために「有能な」人材を集めることが必要であり、そこに若手の能力ある人々が集められる。アメリカのシリコンバレーなどで次々と現れた新興IT企業はこうして瞬く間に大企業に成長していった。
  成長する企業では従業員が経営者と一丸になって働いているので、経営者の「機能資本家」としての姿と、そのもとで雇用され働く労働者の間の溝はあまり見えない。
 しかし、やがてその企業が大きくなると同時に、その存在を脅かす競争相手が登場し、市場を通じての激しい追い落とし戦が展開される。こうした企業を経営する人は、その競争に勝つためにあらゆる手段を講じることになる。そのためには、より有能な従業員をあらたに雇用し、不要と見なされた労働者を「苦渋の決断」と称して削減し、その代わり労働力不足を補うため「非正規雇用」やアルバイトなど解雇しやすい労働者を増やしたりする。さらには、下請け企業(国外の企業が多い)へのコスト削減をぎりぎりまで求め、その結果、そうした下請け企業での労働時間の限度を超えた延長や、低賃金の固定化やカットが進む。
そして競争に負けた企業では従業員の解雇や企業の身売りが行われ、そこに働いていた人々は苦境に陥る。そして多くの場合、経営者は他の資本家のもとに活路を見いだす。
 こうした企業の生成から死滅までの間、その企業を経営する人々が資本の法則を自ら実践し、そのことによって資本の法則を生み出し、人格化された資本となりながら同時に自らそれに拘束されることになるのである。
 よくいわれるように、一部のあこぎな儲け主義の資本家がいけないのではなく、利益をあげるために手段を選ばず競争に打ち勝つことを余儀なくされる「有能な」人々が本来の資本家である投資家のもとで機能資本家として資本主義経済の法則を推進しているのであって、そこではあらゆる人間の能力が利益を生み出す労働力として見られ、その労働力から価値を生み出させるための手段として社会的に要求される労働を行わせることになるのである。
 そしてそうした利益を生み出すことの少ない労働(価値としては大きな価値を生んでいるが資本家の利益獲得の対象になりにくい労働)を行う人々は、「能力の高くない人」と見なされ、「有能な人」との賃金の格差が当然視されることになる。だが現実には「有能な人」の生み出す価値は「能力の高くない」と見なされた人々の生み出す価値よりも少ないし、彼らは多くの「能力の高くない人」たちの労働があって初めて利益をあげる労働を進めることが可能になるのである。
 こうして絶対多数の「能力の高くない」フツーの人々の労働によって生み出された社会的価値が、競争に勝ち抜いた一握りの「有能な」資本家たちの手に集積して行くのが、資本主義社会の法則なのである。

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