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2015年4月11日 (土)

資本について考える(その9: 資本主義以後の社会について−3)

 マルクス主義を標榜する人たちは、資本主義社会が崩壊した後の社会について論じることをあまりやってこなかったように思う。その理由として考えられることは、マルクスが自分の思想を形成する過程で同時代のいわゆる「空想的社会主義者(サン・シモンなど)」たちの思想への批判を通じて、問題への「解」をそれに対置する「対案」として安易に提起することの危険性を指摘しているからであろう。

 このことはマルクスの研究方法とも関わる。マルクスが思想形成を行った時代、ヘーゲル左派が当時カリスマ的だったヘーゲルを「死んだ犬」と揶揄していたのに対して、マルクスは自分が紛れもないヘーゲルの弟子であることを明言した。ヘーゲル左派の人たちは一見過激に見える言動にも拘わらず、決して本当の意味でヘーゲルを乗り越えてはいないということをマルクスが知ったからだろう。そこにマルクスがヘーゲルから学んだ「批判」という方法の真骨頂があるのだ。
マルクスはヘーゲル自身が行った近代哲学への批判を受け継ぎヘーゲルそのひとの思想を批判したのである。そして、ヘーゲル的弁証法は「頭で立っている」という指摘を可能にし、そのことによって初めて「足で立った弁証法」としてのマルクス自身の方法を獲得できたのである。
 このことはマルクスの思想における「批判」という方法の持つ意味を示している。例えば、今日の社会が抱える問題に対して、何が悪いかを指摘し、すぐにそれに対する対案を対置するというのはいかにも正しい方法のように見えるが、この方法は問題の背景にある深い暗闇を照らし出すことはない。なぜそのような問題が生じるのか、その根拠をまっすぐ深く追究しなければ決して本当の解は見えてこない。あたかもクイズにおける選択肢から解答を選ぶように、あらかじめ問題の枠組みが暗黙的に決められた中からしか「解」を選んでいないのである。どこかの学会での「次世代社会をデザインする」などというタイトルがこれの典型である。次世代社会はそんな簡単に「デザイン」できるようなものではない。そもそも現代社会がどのような問題を抱えているのかが「問題」なのである。それを的確に把握することなくして次世代社会のデザインなど出来るはずがない。
 マルクス的批判は、問題状況への否定的意識から始まり、それを「問題」として捉えることから始まる。矛盾や問題はそれ自身客観的に存在するのではない。 客観的問題状況と、それをある主体が捉えた「問題」とは同じではない。だから「問題」の把握の仕方そのものにそれを捉える主体の、問題状況への関わり方が示されるのである。これが矛盾の出発点である。そしてその矛盾の発生してきた根拠へと主体的批判の目は深まり、その背後にある問題発生の根拠へと向かう。それはマルクスのいわゆる下向的分析という局面である。
 この下向的分析はしかしつねに主体が抱える問題意識にプッシュされており、そのベクトルにおいて分析が行われ、徐々に「問題像」が明らかになる。そしてその時点で把握できた限りの「問題像」を表出する過程がマルクスのいわゆる上向的方法(総合)である。一旦表出された「問題像」はそれを手がかりとして再び下向分析へと向かうことになり、さらに深い問題把握に達する。そしてそれはさらに明確な「問題像」の表出を可能にさせる。
 こうして繰り返される下向と上向の過程で、批判の対象となった問題状況を構成する問題像が明確となり、それは同時にその批判を裏打ちするポジティブな側面を生みだして行くのである。
 こうして批判を媒介としながら初めて本当の意味での「解」が求められていくのである。マルクスの批判は決して単なるケチツケなどではなく、批判という形での矛盾の否定を通じてその否定の否定としての「解」をその裏側に生みだして行く過程なのである。
 このようなマルクス的批判の成果が資本論なのであるが、資本論そのものは次世代の社会への「解」を直接示してはいない。しかし、その批判を裏打ちするポジティブな側面はさまざまな形で表現されている。これらの手がかりからわれわれは、これから生み出そうとしている社会への展望をつかみとっていくことが必要なのではないのか?

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