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2015年4月15日 (水)

資本について考える(その11: 資本主義以後の社会について−5)

 さらに宇野学派についていえば、宇野の考え方を受け継いだ第2世代の研究者たちがかつて展開した、国家独占資本主義は、「段階なのか?」という論議があった。ここで詳しくは述べないが、ここでいう「段階」とは資本主義社会の新たな段階として、いわゆる帝国主義段階というのを想定する考え方である。これは宇野弘蔵のいう「段階論」という視点から捉えた考え方であり、資本論に見られるような「純粋な形での資本主義体制が確立した段階」でそれを対象とした理論が「原理論」として成立するのであるが、それに対してそれが歴史的な変貌をとげてあらたな段階へと展開していく状態を論じるのが「段階論」である。例えば、20世紀初頭の資本主義社会をイギリスを中心にして分析したレーニンがそれを金融資本が主導権を握った帝国主義的資本主義社会として把握したのがそれである。つまりマルクス以後に顕著となった資本主義の帝国主義的段階である。これについてもここでは詳しく述べないが、レーニンはこの分析にに基づいてロシア革命を労働者階級による世界革命の端緒として考え、運動を推進した。

 そして第1次世界大戦があり、そのさなかにロシアで「社会主義」革命が起き、それ以後の国際社会の図式を塗り替えた。第1次大戦後のヨーロッパの変化がやがてナチズムを生み、一方ではソビエト指導体制がスターリン一派による変貌を遂げることで第2次世界大戦へとなだれ込んだのであるが、その過程で、資本主義体制も大きな危機を迎え、それに対処すべくケインズらの理論に基づいた新資本主義体制ともいうべき形が生み出されていった。これを国家独占資本主義体制と呼ぶことがあるのだが、戦後の資本主義再興が盛んだった1960~70年頃に、 これが帝国主義段階の「形態」なのか、帝国主義に変わる新段階なのかが論争になった。しかし、私の知る限りこの論争に決着がつかないまま、いつしか「国独資」という把握そのものも曖昧となり、「新自由主義派」などがケインズ派を批判してアメリカやヨーロッパで主導権を握り、「社会主義圏」の低迷が顕著になったことで、ますます混迷の度を深めていったように思う。そして1990年前後の「社会主義圏」崩壊という事態の後は、まったく鳴りを潜めてしまった。
 私はこの過程で宇野学派はその最大の弱点を晒してしまったと感じた。それは一言で言えば、現状分析の弱さとその頓挫である。宇野理論のいう3段階論の最上位(最下位?)にある現状分析がなぜできなかったのか?なぜ原理論や段階論にこだわることになるのか?といった疑問である。
 これは多分その方法論での弱点に起因したものだと思う。ここで「科学としての」資本論という宇野のとらえ方がもう一度議論の対象にならなければいけないのではないだろうか?
 これはあくまで私の考え方であるが、マルクスは資本論の冒頭から商品分析、価値論、と非常に抽象度の高い理論を展開しているが、その前に、ライン新聞の記者として当時の資本主義化が進むドイツ社会の現状をよく把握している。そしてエンゲルスらによるイギリス社会での労働者階級の実情分析などをつぶさに知るところから彼の分析は深まっているのだ。つまりマルクスにおいては常に下向的分析が上向的理論展開のドライビング・フォースになっていると思われる。しかし宇野派においてはどうだろう? どうも原理論の整合性を高めることから出発し、その「あてはめ」として現状を捉えようとしているかのように見える。方向が逆ではないか? マルクスは資本論を高度に抽象的な理論体系を成しながら同時にそこに現状分析を巻き込んだ形で書いている。宇野は、なぜマルクスが資本論をそのような形で記述し、決して「経済原論」として「純化」した形では書いていないことに目を向けるべきではなかったのか?
 経済学者はマルクスやレーニンによる資本主義社会の分析やそれに対する批判や論議を踏まえながらも、そこには表れてこなかったあらたな歴史的現実をあるがままに捉え、それがいったい何を意味するのかを分析することから出発すべきではないのか? そうでなければ肝心の「原理論」そのものが固定化されてしまい、「歴史の遺物」化されてしまうだろう。
 資本主義以後の社会を考えるということは、そういういみで、目の前の現実をあるがままにとらえ、その視点の基礎としてのマルクスの理論を生かしながら新たな現実を巻き込んだ理論を生み出し、それを実践に結びつけていくことなのではないだろうか?

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