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2015年8月 6日 (木)

70年目の広島が語り継ぐべきものは?

 今日は70年目の広島の日であった。朝のTVで平和記念式典の実況を観た。

松井市長は冒頭のスピーチで、日本国憲法の目指す武力に依存しない安全保障と、国籍や民族の違いを超えた核廃絶への人々の連帯を主張していたのが印象的であった。それに比べて安倍首相のスピーチはなんとも定型的でつまらないものであった。当然といえば当然の話であるが。
 ところで、最近ニュース解説などで取り上げられる話題として、原爆体験などの戦争体験の語り継ぎでの問題が挙げられる。例えば、もう戦争体験のない親たちが産んだ「孫世代」への語り継ぎが必要になって来ているが、そのときに、原爆や戦争の悲惨で残酷な場面をあまりにリアルに語られることで、子供達の心に傷が残ってしまうのではないか?という懸念を持つ親たちが増えているということ、そしてさらに、その親たち自身が「語り部」の戦争体験が「定型化」してしまって「またか」という気持ちでそれをなんとなく拒絶してしまう風潮があるということである。
 このことはさまざまな問題を含んでいるが、まずリアルな戦争体験を語ることが子供の心に傷を残してしまうという懸念について考えてみよう。
 私は敗戦の年にまだ5歳の子供であったため、敗戦直後の東京の焼け野が原や食糧難の記憶は鮮明だが、あまりリアルな戦争体験があるとはいえない。しかしまだ小学生だった頃、学校から映画鑑賞会でたしか「原爆の子」という題名で乙羽信子主演の映画を観に行った記憶がある。そのときの原爆投下シーンの印象が強烈でいつまでも夢に出てきたことがあった。さらに母方の親類で広島で被爆した人の話を叔母から聞き、髪の毛が全部焼け焦げ、下腹部が破れて腸が飛び出している人、全身の皮膚が焼けただれてまるでボロが袖から下がっているように両腕にぶら下がり「水をくれ!」とつぶやきながら彷徨している人々の話などを聞いたことがある。また聞きの話とはいえそのインパクトは大きかった。それ以来「広島の原爆」と聞いただけで、「怖い!」という気持ちが条件反射の様に起きるようになった。この記憶は私の核兵器への脅威に対する「理屈抜き」の拒否感として定着したと思う。
 話は少し違うが、1920年代のドイツに、第一次大戦の悲惨な場面をリアルな絵画で伝えたオットー・ディックスという画家がいた。さらに第二次大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争の戦場での残酷な戦死者などのリアルな写真を伝えたロバート。キャパという写真家がいた。これらの作品は、当時の LIFE誌で私も見たが、みな目を背けたくなるような凄惨・悲惨なものである。しかし、これがまさに戦争の現実なのだ。これを見て、子供心に残った「傷」こそが理屈抜きの反戦という心を育てていくのではないだろうか?
 そしてもう一つ「語り部」の話が「定型的」として拒絶してしまうという戦争をしらない親たち。戦後の「平和」な時代に生まれ、それしか知らない人たちに共通の気持ちかも知れない。確かに「語り部」の人たちも高齢化し、話がワンパターンになっているかもしれないが、その話を聞く人には、自分たちがなぜこの「平和」な時代に生きていられるのかという根本的な問いがなければ、意味が無い。それはあの惨たらしい現実の中で「国家のため」としてまるでモノか動物のように捨てられ殺された何十万、いや何百万という人々の犠牲とそれへの痛切な反省の上に立っているのだということを決して忘れてはならないだろう。そしてその反省がもっとも端的に表れているのが現行憲法なのである。
 たとえどれほど残酷なものであろうとも、それがまさにリアルな現実として過去にあった事実なのだということからは絶対に、子供といえども、いや次世代を担う子供だからこそ目をそらしてはならないのではないだろうか?

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