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2015年9月 3日 (木)

2020東京オリンピックのエンブレム問題をめぐって

 2020年東京オリンピックの公式エンブレムで選定委員会が選んだ案が「パクリ」ではないかと問題になり作者はそれを否定したが、そのついでにそれを町中に展示した際のシュミレーション写真の原画がパクリであることが判明し、作者もこれを認め、すでに選出されたエンブレム案を取り下げた。

 これについてはすでにニュースで大きく取り上げられて、いろいろな人が意見を言っていたが、私は、新国立競技場デザイン公募問題も含めて、現在のデザイン業界とデザインを選定する側の両方に問題があると感じた。
 いまのデザイン事務所は、完全な分業制で作業を手分けして行うことで大量の仕事をこなさなければならなくなっているが、それはまずクライアントからの要求に合いそうなデザイン参考例を探すことから始まる。そこには著作権侵害を防ぐ意味もあるが、よれよりもむしろいわゆるデザイン・ソースの手がかりを探すという意味もある。昔からデザイン・ソース事典のようなものが存在したが、いまではインターネットを通じて膨大な量の画像を検索することができ、それにちょっと手を加えて変形し、それらを組み合わせて全体のデザインを構成することが一般的に行われているようである。部品を組み合わせて全体を作るアセンブリー工業と似た手法である。
こうなるとどこまでがパクリであって、どこからが オリジナルといえるのか、きわめて判断が難しい。
 もともとデザイン行為とは人類のモノづくりとともに人間の普遍的な能力として登場し、だれもが持つ能力なのだが、それが資本主義社会で「商品デザイナー」という一つの分業種として切り離されて自立化すると、注文主の意図に添った結果を生み出すことが仕事になり、そのできによってもらう報酬の額が決まるようになった。プロダクト・デザインなどではそのデザイン商品がどれだけ売れたかが評価の基準となっている(実はこのこと自体もデザイン行為の本質からみればおかしいのだが)が、グラフィック・デザインのような仕事は客観的に評価する基準がないので、そのデザイナーがどのくらい過去の実績があったかによってデザイン料を決めることが多い。こうしてデザイン賞の受賞回数とか大きな公募で入選したとかいうことが判断の基準となる。これによって同じ仕事をしても驚くほどデザイン料が違うのである。
 デザインを選定する側も選定メンバーの多くは、それ以前にすでにある基準で権威づけされ一定のコミュニティーに属するデザイナーたちである。デザインの選考基準を決める客観的な判定基準がないために選定者の「権威」に頼らざるを得ないのだ。
 芸術もデザインもそれが「商品」として扱われる社会では、その「商品価格」は工業生産物とは違いきわめて恣意的に決められる。そして無名のデザイナーがいくら多くの時間をかけて良い作品を生み出してもなかなか認められないことが多い。しかし一旦有名になりさえすれば状況は一変する。そして一度賞を取った人ほどまた別の賞をとるチャンスが多くなる。こうしてそのデザイナーは権威付けされデザイン料も上がる。
 芸術表現やデザイン行為がこのような形でしか社会的に認められない社会は本当はきわめて不幸なことだと思う。もしこれらが他の能力と同様にだれでもができる人間の頭脳労働の一つとして正当に見なされるのであれば、その仕事にかけられた時間がその価値を決める客観的基準となるべきであろう。販売実績やデザイナーの権威とは何ら関係ないはずである。

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コメント

野口さん、今晩は。
エンブレム応募の件。熊「絶対、応募する。」(野口さん、まあ目つぶっといて。)
八「まあ、お前には無理だ。無駄だ。無謀だ。あとなんかむなんとかだ。」
熊「絶対に、著作権の侵害はない。日本以外にはない図柄を三つも用いるのだから、三重の安全装置がついているようなもんだ。間違いない。」
八「それでカッコいいデザインにはならんだろう。三つもごちゃごちゃしたらそれだけでシンプルさが欠け、印象が弱く、まあ、採用されないからどうでもいいが」
熊「案を説明する必要もないか。」
八「おお、その言い方はひっかかるな。聞きたくもないが、言いたけりゃぶっぱなしても、聞かなかったことにするから、安心しろ。」
熊「お前には、盗まれる心配がない。話を聞いても絵がかけない。」
八「大家に描いてもらう。でも大家もからっきしだからね。で」
熊「まずは赤い丸だな。」
八「1964年の亀倉雄策じゃん。」
熊「それに黄色い丸が4つ入っている。」
八「なんじゃそれ、亀倉君がよろめくぞ。」
熊「そして、小さな点がしたに続く。」
八「どうにもならんな。子供のお絵描きだって、その絵を越えるぞ。」
熊「これで、三つ揃ったし、文句はないだろう。トータルオリジナルだ。」
八「お前、丸と点では、てんでだめま~るじゃん。」「エンもブレもムだ。」
熊「お前の低能ぶりもあきれたな。このデザインが全く分かってない。頭の脳味噌の無回転、中性子1個も動かない。永久原始脳構造のバカ。」
八「するってえと、ひょっとすると、それにしても、お前の方がバカじゃないか、なにかコピーして、笑わせようと云う魂胆なのか。」
熊「まあ、お前の能力で描いてみろ。分かるかもだ。悪かった。無理なこった。説明してやろう。」
八「俺がお前の解説を聞くとはなあ、俺も錆びたな。」
熊「日の丸は分かるだろう。それに黄色い丸4個は黄身が4だ。」
八「君が代かよ。」
熊「点が続くのは、点の尾だ。」
八「天皇かよ。」
熊「八どん、やっと俺のアイデアを理解したか。」
八「お前なあ、日の丸・君が代・天皇のエンブレムは、世界各国から反発必至だ。だれも参加しないぞ。」
熊「そこでだ、沖縄を独立国にして、日本と沖縄だけで、世界オリンピック2015を開催する。メタルは確実、費用も安上がり、リスクもない。安全安心だ。誰も来なければ、確実に何とか危機も回避される。軍備も縮小し、この際だ、資本の支配を廃止する。」
八「反動的、国家主義的、帝国主義的、ついに大家に。勘当されるぞ。」
熊「いや、遠藤だ。」

投稿: mizz | 2015年9月 7日 (月) 15時55分

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