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2015年9月23日 (水)

安保法制可決後の社会を考える(続き)

 戦後の安全保障政策最大の転換点と言われた集団自衛権の容認を含む「安保法制」が安倍政権の独走のもとで成立したが、それに対する反対運動も成立直前までは一定の盛り上がりを見せながら、成立後は、やはりあきらめと無力感の中に陥っていきつつあるようだ。残念ながらやはりあの60年安保成立後のときと似た雰囲気になりつつある。

 安倍政権は、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」を期待し、ここで強引に可決させればあとは時間が経てば反対運動の興奮も醒め、いつのまにか「新安保体制」が、60年安保成立後の際のように、当たり前のことの様に受け止められるようになるに違いない、と踏んでいるのである。要するに安倍政権はかつての岸政権の経験を踏まえて、「市民運動」とは一時的に感情的に盛り上がるが、それが醒めれば、政権のやっていることを自然に受け入れる、と見ており、「反対が50%を超えたって、放っておけば収まるさ」とたかをくくっているのである。
 残念ながら「市民運動」とは実際そんなものなのかもしれない。そして次の選挙で再び自民党が第一党になるかもしれないのである。
 だが、そんなことで良いのだろうか?世界中がいまどんどんキナ臭い方向に向かっているときに、「戦争はいやだ」程度の反対運動で良いのだろうか? あの1千万以上の死者を出し、ヨーロッパを破壊しつくした第一次世界大戦がはじまったときも、それまで「反戦」を唱えていた人々が、あっというまに「国を護るための戦争」に賛成してしまったのだ。
「戦争はいやだ」と「国を護るための戦争」の間にあるこの深い溝を埋めることなくして私たちに未来はないと思う。

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