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2015年9月27日 (日)

「さまよい人」さんからのコメントにお応えして

「さまよい人」さんから、コメントをいただいた。コメント欄を見て下さい。8月30日に国会前に行っておられた由、そのことだけでも私より一歩前に進もうとしてされているように思えます。

私は「8.30安保法制反対デモをめぐって」というブログを書いたあと、これを削除しようかとも思いました。何もせずに勝手な批判めいたことを書く自分に忸怩たる思いがあったからです。しかし結局削除しませんでした。やはりこれは私の正直な気持ちであったからです。
赤ん坊を抱えた女性がデモに参加していたことは、ある意味ですばらしいことでもあります。あの70年安保闘争のときは、機動隊の楯に威圧され催涙ガスを吹きかけられて、逃げ惑ったことを覚えています。しかしあのときも、結局、私を含めてあの闘争を闘った学生達(私は当時大学の助手でしたが)は、その後、フツーの市民生活の中に埋没していったのです。一体あれは何だったのだろうか? 私はそれから10年ほど経ってからそう思いました。
 しかし、いま再び社会が歴史を逆方向に辿ろうとしているとき、私はやはりこのままではいけないという思いに駆られています。その気持ちの苛立ちの中で、8.30デモはある意味で頼もしくもあったのですが、同時に、それは「これではまた同じ結果になる」という思いも強かったのです。特に、8.30デモを「フランス革命に相当する市民革命だ」などと言っておだて上げる「リベラル派知識人」が多かったことにはまったく残念でした。
例えば、数年前に「アラブの春」と言われた運動が中近東で起きたとき、日本の知識人は「インターネット時代の祝祭デモ」だといってもてはやしたのです。そしてその結果がどうなったかは、いまのシリアやエジプトを見れば明らかでしょう。「リベラル派知識人」なんてそんなものなのです。支配階級を補完するようなまったく無責任な人たちです。
  今回の8.30デモとそれ以後のSEALsなどの運動についても安倍政権は単なる「ガス抜き」程度にしか捉えていないでしょう。完全に「負け」です。
 本当に戦争のない世の中を創ろうとすれば、一歩一歩、運動を前進させるために、それを支える人々の意識そのものを革新して行かなければならないと思います。運動そのものが自己変革でもなければだめなのです。運動を支える人々の意識がいつまでも「市民意識」のままでは絶対に世の中は良くなりません。そしていくら行動が過激に見えても、その本質が単なる「市民意識の裏返し」でしかないのでは、結果は同じ事なのです。これはかつて安保闘争を闘った者が深く反省しなければならない点だと思います。
 「国家」を実質的に支配している者は誰なのか?そしてその者たちに支配され利用されながら、「国民」とか「市民」とか呼ばれて自分たちも支配者たちと同等な「市民」あるいは「国民」と思い込み、彼らのイデオロギーに埋没している限り 真実は見えてこないのです。
  事実、70年前の戦争では、「一億総火の玉」と叫ばれ、「国民」「少国民」が天皇と一体となって「敵国」と闘ったのです。当時はみなそれを当然と思い、その一体感こそが「日本精神」であり「愛国心」であると信じていたのです。そして戦場では「敵国民」の女性や子供を銃剣で突き刺し、それを当然と思っていたのです。しかし、その日本兵に刺し殺された「敵国民」は一人一人そこで日々の生活を営んでいた人たちであり、その日本兵に銃剣で刺し殺されるような理由は何一つありませんでしたし、日本兵に関しても同じです。こうして「国家」同士の利害の衝突が、互いにもともと何の恨みも憎む理由もない人々を互いに憎しみ合うように仕向け殺し合わねばならなくさせるのが戦争です。そしてそれを「お国のため」「国家と国民を護るため」という理由付けをするのです。そういう支配構造の中で、「自由な」一個人としてそれと対等に闘うなどというのは全くの幻想に過ぎないと思います。
 そのようなことに気づくことが必要だし、そうでない限り、いくら「戦争はいやだ!」と叫んでみても、世の中から戦争をなくすことなど絶対にできないでしょう。

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